重力波 (相対論)
カズオ・イシグロ(文学賞)
ノーベル賞
Nobel Prize

ノーベル賞(the Nobel Prize)  公式サイト http://nobelprize.org/
  受賞対象 物理学 、 化学 、 生理学・医学 、 文学 、 平和 、 経済学

ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベル遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である[1]。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる。 経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968年に設立されたものであり[2]、ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」としている[3]が、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多い。

2017年のノーベル賞受賞者

賞名 受賞者名
物理学賞 レイナー・ワイスバリー・バリッシュキップ・ソーン
化学賞 ジャック・ドゥボシェヨアヒム・フランク リチャード・ヘンダーソン
生理学・医学賞 ジェフリー・ホールマイケル・ロスバッシュ マイケル・ヤング (生物学者)
文学賞 カズオ・イシグロ
平和賞 核兵器廃絶国際キャンペーン
経済学賞

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2016年のノーベル賞受賞者

賞名 受賞者名
物理学賞 デイヴィッド・J・サウレスダンカン・ホールデンジョン・M・コステリッツ
化学賞 ジャン=ピエール・ソヴァージュフレイザー・ストッダートベルナルト・L・フェリンハ
生理学・医学賞 大隅良典
文学賞 ボブ・ディラン
平和賞 フアン・マヌエル・サントス
経済学賞 オリバー・ハートベント・ホルムストローム

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2015年のノーベル賞受賞者

賞名 受賞者名
物理学賞 梶田隆章アーサー・B・マクドナルド
化学賞 ポール・モドリッチトマス・リンダールアジズ・サンジャル
生理学・医学賞 ウィリアム・C・キャンベル大村智屠ユウユウ
文学賞 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
平和賞 チュニジア国民対話カルテット
経済学賞 アンガス・ディートン

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重力波ノーベル賞
重力波

重力波 (相対論)

百科事典
一般相対性理論
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入門英語版
数学的定式化英語版
関連書籍

重力波(じゅうりょくは、英語: gravitational wave)は、時空重力場)の曲率(ゆがみ)の時間変動が波動として光速で伝播する現象。1916年に、一般相対性理論に基づいてアルベルト・アインシュタインによってその存在が予言された後、約100年に渡り、幾度と無く検出が試みられ、2016年2月に直接検出に成功したことが発表された[1][2][3]

重力により発生する液体表面の流体力学的な重力波gravity wave)とは異なる。

概要

+モードに偏極した重力波のリング状にある粒子に及ぼす影響
×モードに偏極した重力波のリング状にある粒子に及ぼす影響

重力波は、巨大質量をもつ天体が光速に近い速度で運動するときに強く発生する。例えば、ブラックホール中性子星白色矮星などのコンパクトで大きな質量を持つ天体が連星系を形成すると、重力波によってエネルギーを放出することで最終的に合体すると考えられている。

重力波の概念は、アルベルト・アインシュタイン自身が、一般相対性理論を発表した2年後に発表した。重力波の存在は間接的には示されていた(間接的な検出参照)が、直接の検出には100年を要した(直接的な検出参照)。なお、素粒子物理学の標準理論において重力相互作用を伝達する素粒子として重力子(graviton)が想定されているが、これは2016年現在未検出である。

重力波の検出は、現在の一般相対性理論研究の大きな柱の1つであり、巨大なレーザー干渉計や共振型観測装置が世界の数拠点で稼働あるいは計画中である。また、予想される重力波は非常に弱いため、ノイズに埋もれた観測データから重力波を抽出するために、重力波の波形をあらかじめ理論的に計算して予測する研究も精力的に進められている[4]

重力波源の候補

重力波は、物体が加速度運動をすることにより放出される。ただし、完全な球対称な運動(星の崩壊など)や円筒対称な運動(円盤状物体の回転など)からは放出されない。

一般相対性理論が日常生活で意識されることがほとんどないように、この理論から予言される重力波の振幅は非常に小さい。

人工的に作り出して観測することは不可能であるので、波源は宇宙の天体現象に期待される。想定される起源としては、以下のようなものがある。

2つの天体による準ケプラー運動
太陽を周回運動する惑星のように、連星系の天体からは重力波放出が期待される。特に、連星中性子星あるいは連星ブラックホール(あるいは中性子星とブラックホールの連星系)のスパイラル運動、およびそれらの最終的な合体フェイズで発生する重力波は、地上レーザー干渉計での重力波検出の重要な候補である。連星系が重力波放出により、軌道半径を小さくしてゆく運動をインスパイラル運動という。
中性子星・白色矮星などのようなコンパクトで非常に重い星の非球対称振動
1つの天体からでも重力波放出が期待される。また、ブラックホールが形成されるときは、ブラックホールに物質が吸い込まれる時に、特徴的な減衰振動が期待される。これは、ブラックホール準固有振動英語版(quasi-normal mode)と呼ばれている。いくつもの白色矮星の振動による重力波は、合成されてノイズのように観測されうるだろうことが宇宙空間レーザー干渉計での重力波検出で予想されている。
非球対称な超新星爆発
回転を持つような超新星爆発では、運動の非対称性より重力波放出が期待される。超新星爆発が発生すれば重力波波源として有力だが、発生頻度は連星系の合体などよりは少ないと考えられている。
インフレーション宇宙モデルなどの、初期宇宙の痕跡
モデルによっては、宇宙の相転移で発生する泡状構造の衝突などの現象で重力波が発生する可能性がある。背景重力波として存在することが考えられている。

重力波の検出実験

重力波の検出は困難を極める。重力波を発生させる天体現象の頻度も定かではない。1年で数回程度の重力波を現在のレーザー干渉計装置で観測しようとするならば、重力波の典型的な振幅として、10−21以下の小さな時空の歪みを検出する必要がある[5]。これは地球太陽との距離(天文単位=約1億5000万キロメートル≒1011 mのオーダー)に対し、10−10 m=0.1 nmの変化量に過ぎない。

共振型検出器

1960年代から、共振型観測装置を用いて、パルサーから放出されると考えられる特定の周波数の重力波を検出する努力も続けられてきているが、これまで有意な検出を得ていない。1969年には、メリーランド大学のジョセフ・ウェーバーが、彼が考案した共振型検出器、いわゆるウェーバー・バーにより重力波を検出した、と発表した。しかし、多くのグループの追試にもかかわらず、再度の検出には至っていない。

干渉計型検出器(地上)

現在の検出の主流は、強力なレーザー光によるマイケルソン干渉計を用いるものである[6]。1つの発振装置から出たレーザー光を直交する二方向に分け、一辺が数kmのアームを往復させる。レーザーの反射には、時空の歪みにしたがって振動する鏡を用いることにより、重力波が通過した時の四重極の歪みによる二方向の距離差(理想的には片方は伸び、もう片方は縮む)が干渉縞の変化から検出される、という原理である。自由質量型観測装置とも呼ばれる。

干渉計型検出器は、装置が大掛かりになるが、検出できる重力波の周波数帯が広い。検出感度は上記の起源の 1-3 に適していると考えられている。検出感度を得るための障害となるのは、レーザー光の量子雑音・鏡の熱振動・機械振動や電気雑音や地面振動などである。これらのノイズを1つ1つ取り除くことにより、現在ではブラックホール連星系の合体ならば地球から数100 メガパーセク程度の距離までの現象を測定できる世界的なネットワークが構築されている。

干渉計型検出器は、2000年代に世界の数ヶ所で稼働をはじめた。

  • アメリカは、LIGO(ライゴ)というプロジェクト名で、一辺が4kmのレーザーマイケルソン干渉計をワシントン州とルイジアナ州に2台稼働させている。2010年まで、実質2年以上の実観測を行った。2015年9月からは、感度を向上させた第2世代の干渉計aLIGO(advanced LIGO)として稼働をはじめた。
  • 日本は、国立天文台にあるTAMA300で、一辺が300mのマイケルソン干渉計を2000年に稼働させた。これは、世界に先駆けて最初に本格的な観測を開始したものだ。2003年までは、神岡では、TAMAのプロトタイプだった一辺が20mのマイケルソン干渉計を設置し、LISM干渉計として運用実験を行っていた。その後、同じ、神岡内に片腕100mの低温鏡レーザー干渉計重力波アンテナCLIOが、地球物理学研究のための地殻歪計とともに建設された。
  • イタリアとフランスは共同で、一辺が3kmのVIRGO英語版干渉計を、ピサ(イタリア)に持つ。
  • ドイツとイギリスは共同で、一辺が600mのGEO 600英語版干渉計を、ハノーファー(ドイツ)に持つ。

日本では、東京大学の宇宙線研究所重力波推進室が、TAMA300とCLIOをプロトタイプとして、マイケルソン干渉計を構成する鏡とそれを振り子状に懸架するワイヤーを20ケルビン程度に冷却することによって感度を上げる観測装置「大型低温重力波望遠鏡(LCGT, Large Cryogenic Gravitational Telescope)」(愛称:大型低温重力波望遠鏡 KAGRA かぐら)を岐阜県神岡鉱山跡地に建設した。干渉計のアームの長さは3kmである。2016年3月にも試験観測を行い、2017年には本格的に観測を開始する予定である。

干渉計型検出器(宇宙空間)

宇宙空間に衛星を打ち上げてレーザー干渉計を形成し、重力波を検出しようというLISA(Laser Interferometer Space Antenna)計画がNASAESAによって進められている。これは3台の衛星で、一辺が500万kmのレーザー干渉計を形成するもので、ターゲットとする周波数帯は、地上の重力波よりも低い。合体の数年前の連星系からの重力波・白色矮星の振動による背景重力波・初期宇宙起源の重力波を捉えるであろうと期待されている。

日本でも、LCGTの次の将来計画として、宇宙重力波望遠鏡DECIGO(Dei-hertz Interferometer Gravitational Wave Obserbatory)計画が進められている。この観測装置は一辺が1000kmのレーザー干渉計で、地上レーザー干渉計とLISA計画の中間の周波数帯を主なターゲットとしている。

間接的な検出

1974年、ジョゼフ・テイラーラッセル・ハルスは、連星パルサーPSR B1913+16を発見し、その自転周期とパルスの放射周期を精密に観測することによって、その軌道周期が徐々に短くなっていることを突き止めた。この現象は、重力波によってエネルギーが外に持ち出されたことで起きるとされ、その周期減少率は一般相対論の予言値に誤差の範囲内で一致した。この業績により、2人は「重力研究の新しい可能性を開いた新型連星パルサーの発見」としてノーベル物理学賞を1993年に受賞した。

2014年3月17日ハーバード・スミソニアン天体物理学センターの研究者グループは、南極に設置したBICEP2望遠鏡を用いて宇宙マイクロ波背景放射の偏光を観測し、解析結果から「原始の宇宙を渡ってきた重力波の直接的イメージを初めて得た」と発表した[7][8][9]が、この発見の根拠は薄弱であるという有力な説がある[10][11]。2015年1月30日にこの研究者グループは、発表は誤りであったことを明らかにした[12]

直接的な検出

GW150914[

理論発表からおよそ100年後の2016年2月11日、米カリフォルニア工科大と米マサチューセッツ工科大などの研究チームが、2015年9月14日に米国にある巨大観測装置LIGOで重力波を検出したと発表した[1][2][3]

LIGOはワシントン州ハンフォードとルイジアナ州リビングストンに同じ構造の2基のマイケルソン干渉計をもつ。本格的な観測稼働の4日前の2015年9月14日 9:50(UTC)に、2台のLIGO干渉計で6.9ミリ秒の差で重力波と思われるイベントが計測された。35Hzから250Hzまで周波数を上げながら振幅を大きくする波形が0.15秒ほど続き、その後急速に減衰した。ルイジアナ州の方が先に感知したため、南半球側から到来した重力波と考えられている。LIGOは、このとき技術確認稼働の最終段階で、2基とも安定に稼働していた。

この重力波は、波形から判断してブラックホール連星が合体して1つの大きなブラックホールになる過程であると解析された。ブラックホールの質量は太陽質量の36倍と29倍のもので、合体後には太陽質量の62倍のブラックホールになった。その差の質量(太陽質量の3倍)は重力波としてこの瞬間に放出されたことになる[3]。超新星爆発をはるかにしのぐエネルギーである。この現象は13億光年先から伝わったものである。この重力波イベントは、GW150914wikidata版と命名された(これらの重力波源に関する数値は10%程度の誤差をもつ)。

GW150914の観測は、重力波を初めて直接検出したことだけではなく、初めてブラックホール同士の衝突を実証した観測でもある[3]。また、これまで発見されていなかったブラックホール連星が存在したこと、太陽質量の30倍付近および60倍付近の質量をもつブラックホールの存在を示したことも大きな発見である。重力波の発見により、ブラックホールが形成されるほどの「強い」重力場での物理現象がはじめて検証できることにもなった。これまで一般相対性理論は、太陽系などの「弱い」重力場でしか検証されていなかった[13]。GW150914の波形と理論の整合性を検討したLIGOグループは、一般相対性理論の予言と無矛盾である、と結論している。

GW151226

GW150914後、GW151226wikidata版英語版の発表があった[14]

出典

  1. ^ a b LIGO Scientific Collaboration and Virgo Collaboration, B. P. Abbott (February 11, 2016). “Observation of Gravitational Waves from a Binary Black Hole Merger”. Physical Review Letter 116, 061102(2016). doi:10.1103/PhysRevLett.116.061102. http://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.116.061102 2016年2月11日閲覧。. 
  2. ^ a b Castelvecchi, Davide; Witze, Witze (February 11, 2016). “Einstein's gravitational waves found at last”. Nature News. doi:10.1038/nature.2016.19361. http://www.nature.com/news/einstein-s-gravitational-waves-found-at-last-1.19361 2016年2月11日閲覧。. 
  3. ^ a b c d Gravitational waves detected 100 years after Einstein's prediction”. LIGO (2016年2月11日). 2016年2月11日閲覧。
  4. ^ 新・天文学事典』 谷口義明、講談社2013年3月20日、425-426頁。ISBN 978-4-06-257806-6
  5. ^ 坪野公夫. “重力波の計測”. 東京大学大学院 理学系研究科・理学部. 2016年2月18日閲覧。
  6. ^ 重力波の検出方法は?”. よくある質問. KAGRA 大型低温重力波望遠鏡. 2016年2月18日閲覧。
  7. ^ David A. Aguilar; Christine Pulliam (2014年3月17日). “First Direct Evidence of Cosmic Inflation”. ハーバード・スミソニアン天体物理学センター. 2014年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月18日閲覧。
  8. ^ 宇宙膨張、裏付ける重力波=南極の電波望遠鏡で初観測-初期の姿明確に・米チーム”. 時事通信社 (2014年3月18日). 2014年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月21日閲覧。
  9. ^ 宇宙誕生時の「重力波」観測 米チームが世界初”. 日本経済新聞社 (2014年3月18日). 2014年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月21日閲覧。
  10. ^ No evidence for or against gravitational waves' Nature doi:10.1038/nature.2014.15322
  11. ^ Gravitational wave discovery faces scrutiny Nature doi:10.1038/nature.2014.15248
  12. ^ “Gravitational waves discovery now officially dead”. Nature. (30 January 2015). doi:10.1038/nature.2015.16830. http://www.nature.com/news/gravitational-waves-discovery-now-officially-dead-1.16830 2016年2月11日閲覧。. 
  13. ^ “The Confrontation between General Relativity and Experiment”. Living Rev. Relativity 17, 4(2014). (June 11, 2014). doi:10.12942/lrr-2014-4. http://www.livingreviews.org/lrr-2014-4 2016年2月20日閲覧。. 
  14. ^ GW151226: Observation of Gravitational Waves from a 22-Solar-Mass Binary Black Hole Coalescence https://dcc.ligo.org/public/0124/P151226/013/LIGO-P151226_Detection_of_GW151226.pdf

関連項目

外部リンク

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石黒カズオノーベル賞
石黒カズオ

カズオ・イシグロ

百科事典
カズオ・イシグロ
Kazuo Ishiguro by Kubik.JPG
ポーランドクラクフにて(2005年10月29日)
誕生 (1954-11-08) 1954年11月8日(62歳)
日本の旗 日本 長崎県長崎市
職業 小説家
言語 英語
国籍 日本の旗 日本)→
イギリスの旗 イギリス[注 1][1]
最終学歴 ケント大学
イースト・アングリア大学大学院
活動期間 1981年 -
ジャンル 小説
代表作 日の名残り
わたしを離さないで
主な受賞歴 ブッカー賞(1989年)
ノーベル文学賞(2017年)
デビュー作 遠い山なみの光
Portal.svg ウィキポータル 文学
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2017年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた

カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro OBE, 漢字表記:石黒 一雄1954年11月8日 - )は、長崎県出身の日系イギリス人小説家である。1989年に長編小説『日の名残り』でイギリス最高の文学賞ブッカー賞を、2017年ノーベル文学賞を受賞した。ロンドン在住。

経歴

生い立ち

長崎県長崎市新中川町[2]海洋学者の父・石黒鎮雄と母・静子の間に生まれる[3]。祖父の石黒昌明滋賀県大津市出身の実業家で、東亜同文書院(第5期生[4]1908年卒)で学び、卒業後は伊藤忠商事天津支社に籍を置き、後に上海に設立された豊田紡織廠取締役になる[5][6]。父の石黒鎮雄は1920年4月20日に上海で生まれ、明治専門学校電気工学を学び[7]1958年エレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文[8]東京大学より理学博士号を授与された海洋学者であり、高円寺気象研究所勤務の後、1948年長崎海洋気象台に転勤となり、1960年まで長崎に住んでいた。長崎海洋気象台では副振動の研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作曲するなど音楽の才能にも恵まれていた[9]

幼少期には長崎市内の幼稚園に通っていた[10]1960年に父が国立海洋研究所英語版所長ジョージ・ディーコン英語版の招きで渡英し、暴風によって発生し、イギリスやオランダの海浜地帯に深刻な災害をもたらした1953年北海大洪水英語版を、電子回路を用いて相似する手法で研究するため、同研究所の主任研究員となる[11][12][13][14][15][16]北海油田調査をすることになり、一家でサリー州ギルドフォードに移住、現地の小学校・グラマースクールに通う。卒業後にギャップ・イヤーを取り、北米を旅行したり、デモテープを制作しレコード会社に送ったりしていた[17]

1978年ケント大学英文学科、1980年にはイースト・アングリア大学大学院創作学科に進み、批評家で作家マルカム・ブラッドベリ英語版の指導を受け、小説を書き始めた。卒業後に一時はミュージシャンを目指すも、文学者に進路を転じた[16]

作家活動

1982年、英国に在住する長崎女性の回想を描いた処女作『女たちの遠い夏』(日本語版はのち『遠い山なみの光』と改題、原題:A Pale View of Hills) で王立文学協会賞を受賞し、9か国語に翻訳される。1983年、イギリスに帰化する[18]1986年、長崎を連想させる架空の町を舞台に戦前の思想を持ち続けた日本人を描いた第2作『浮世の画家』(原題:An Artist of the Floating World) でウィットブレッド賞を受賞し、若くして才能を開花させた[16]。同年にイギリス人のローナ・アン・マクドゥーガルと結婚する。

1989年、英国貴族邸の老執事が語り手となった第3作『日の名残り』(原題:The Remains of the Day)で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を35歳の若さで受賞し、イギリスを代表する作家となった[16]。この作品は1993年に英米合作のもと、ジェームズ・アイヴォリー監督・アンソニー・ホプキンス主演で映画化された。

1995年、第4作『充たされざる者』(原題: The Unconsoled) を出版する。2000年、戦前の上海租界を描いた第5作『わたしたちが孤児だったころ』(原題:When We Were Orphans) を出版、発売と同時にベストセラーとなった。2005年、『わたしを離さないで』を出版する。2005年のブッカー賞の最終候補に選ばれる。この作品も後に映画化・舞台化されて大きな話題を呼んでいる[16]。同年公開の英中合作映画『上海の伯爵夫人』の脚本を担当した。

2015年、長編作品の『忘れられた巨人』(原題:The Buried Giant)を英国米国で同時出版。アーサー王の死後の世界で、老夫婦が息子に会うための旅をファンタジーの要素を含んで書かれている[16]。2017年、「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」などの理由で[19]としてノーベル文学賞を受賞[20][16]

人物

1995年に大英帝国勲章(オフィサー)、1998年にフランス芸術文化勲章を受章している。2008年には『タイムズ』紙上で、「1945年以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれた。作品の特徴として、「違和感」「むなしさ」など感情を抱く登場人物が過去を曖昧な記憶や思い込みを基に会話・回想する形で描き出されることで、人間の弱さや、互いの認知の齟齬が読み進めるたびに浮かび上がるものが多い。作家の中島京子は非キリスト教文化圏の感受性を持ちながら、英国文学の伝統の最先端にいる傑出した現代作家であり、受賞は自身のことのように嬉しいと述べている[16]。多くのイシグロ作品を翻訳した土屋政雄はイシグロを非常に穏やかな人と述べた上で、いつかするだろうがノーベル文学賞の受賞はもう少し時間がかかると思っていたので今回の受賞には驚いたと語っている[21]

日本との関わり

両親とも日本人で、本人も成人するまで日本国籍であったが、幼年期に渡英しており、日本語はほとんど話すことができないとしている[22]。しかし、2015年1月20日に英国紙の『ガーディアン』では英語が話されていない家で育ったことや母親とは今でも日本語で会話すると述べている。さらに英語が母語の質問者に対して、「I'm pretty rocky, especially around vernacular and such. 」など「言語学的には同じくらいの堅固な(英語の)基盤を持っていません[23]」と返答している[24]。最初の2作は日本を舞台に書かれたものであるが、自身の作品には日本の小説との類似性はほとんどないと語っている。

1990年のインタビューでは「もし偽名で作品を書いて、表紙に別人の写真を載せれば『日本の作家を思わせる』などという読者は誰もいないだろう」と述べている[25]谷崎潤一郎など多少の影響を与えた日本人作家はいるものの、むしろ小津安二郎成瀬巳喜男などの1950年代の日本映画により強く影響されているとイシグロは語っている[26]。日本を題材とする作品には、上記の日本映画に加えて、幼いころ過ごした長崎の情景から作り上げた独特の日本像が反映されていると報道されている[16]

1989年に国際交流基金の短期滞在プログラムで再来日し、大江健三郎と対談した際、最初の2作で描いた日本は想像の産物であったと語り、「私はこの他国、強い絆を感じていた非常に重要な他国の、強いイメージを頭の中に抱えながら育った。英国で私はいつも、この想像上の日本というものを頭の中で思い描いていた」と述べた[27]

2017年10月のノーベル文学賞の受賞後にインタビューで、「予期せぬニュースで驚いています。日本語を話す日本人の両親のもとで育ったので、両親の目を通して世界を見つめていました。私の一部は日本人なのです。私がこれまで書いてきたテーマがささやかでも、この不確かな時代に少しでも役に立てればいいなと思います」と答えた[28]。なお、ノーベル財団では国籍・国境等の変遷に鑑み、出身国に関しては出生国としており、イシグロを日本出身のノーベル賞受賞者と位置づけている[29]

作品

長編小説

邦題 原題 出版年
遠い山なみの光英語版[注 2] A Pale View of Hills 1982年
浮世の画家英語版 An Artist of the Floating World 1986年
日の名残り The Remains of the Day 1989年
充たされざる者英語版 The Unconsoled 1995年
わたしたちが孤児だったころ英語版 When We Were Orphans 2000年
わたしを離さないで Never Let Me Go 2005年
忘れられた巨人 The Buried Giant 2015年

短編小説[

邦題 原題 出版年
’A Strange and Sometimes Sadness’, ‘Waiting for J’, and ‘Getting Poisoned’ in Introduction 7: Stories by New Writers 1981年
戦争のすんだ夏 ‘The Summer after the War’  1990年
夕餉 ‘A Family Supper’ 1990年
日の暮れた村 ‘A Village After Dark’[注 3] 2001年
夜想曲集―音楽と夕暮れをめぐる五つの物語英語版 Nocturnes: Five Stories of Music and Nightfall[注 4] 2009年

脚本

作詞

  • Stacey kent / The Ice Hotel
  • Stacey kent / I Wish I Could Go Travelling Again
  • Stacey kent / Breakfast on the Morning Tram
  • Stacey kent / So Romantic
  • Stacey kent / The Summer We Crossed Europe In The Rain
  • Stacey kent / Waiter, Oh Waiter
  • Stacey kent / The Changing Lights

参考文献]

  • 特集 カズオ・イシグロ「水声通信」no.26(水声社、2008年)

脚注

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注釈

  1. ^ 1983年にイギリスに帰化
  2. ^ 筑摩書房より『女たちの遠い夏』のタイトルで刊行されたが、早川書房から文庫版を刊行するさいに改題。
  3. ^ 原文 http://www.newyorker.com/magazine/2001/05/21/a-village-after-dark
  4. ^ ‘Crooner’、‘Come Rain or Come Shine’、‘Malvern Hills’、‘Nocturne’、‘Cellists’ の五篇を所収。

出典

  1. ^ Author's bio Granta 43 (1993). p 91
  2. ^ 「夢みたい」「縁を感じる」カズオ・イシグロ氏の出身地、長崎市では祝福の声相次ぐ 産経新聞
  3. ^ 6才でイギリスに両親と移り住む。ノーベル文学賞 毎日新聞
  4. ^ 東亜同文書院の内蒙古調査旅行 森久男 愛知大学リポジトリ
  5. ^ カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』論 : 上海へのノスタルジーをめぐって 平井法 昭和女子大学学術機関リポジトリ - 国立情報学研究所
  6. ^ 株式会社豊田紡織廠などの設立
  7. ^ カズオ・イシグロ: “日本”と“イギリス”の間から 荘中孝之 春風社
  8. ^ [http://ci.nii.ac.jp/naid/500000493143
  9. ^ http://www.ktn.co.jp/news/20171006153538/
  10. ^ 91歳恩師「夢みたい」カズオ・イシグロ氏の幼稚園担任が感嘆の声 産経
  11. ^ Kazuo Ishiguro: ‘We’re coming close to the point where we can create people who are superior to others’ OurDailyRead.com
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関連項目


TOP

ノーベル賞

百科事典
ノーベル賞
the Nobel Prize
NobelP2.png
受賞対象 物理学
化学
生理学・医学
文学
平和
経済学
スウェーデンノルウェー
授与者 スウェーデン・アカデミー
スウェーデン王立科学アカデミー
カロリンスカ研究所(スウェーデン)
ノルウェー・ノーベル委員会
初回 1901年
公式サイト http://nobelprize.org/

ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベル遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である[1]。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる。 経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968年に設立されたものであり[2]、ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」としている[3]が、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多い。

沿革

ノーベルの遺言

ノーベル賞は、スウェーデン語ではNobelpris(et)(ノベルプリース/ノベルプリーセット)、ノルウェー語ではNobelpris(en)(ノベルプリース(ン))、英語ではNobel Prize[noʊˌbel ˈpraɪz] ノウベル・プライズ)と言う。1895年に創設され、1901年に初めて授与式が行われた。一方、ノーベル経済学賞1968年に設立され、1969年に初めての授与が行われた。

賞設立の遺言を残したアルフレッド・ノーベル(1833年10月21日 - 1896年12月10日)はスウェーデン発明家企業家であり、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いた。しかし爆薬や兵器をもとに富を築いたノーベルには一部から批判の声が上がっていた。1888年、兄のリュドビックカンヌにて死去するが、この時フランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」との見出しとともに報道。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになった[4][注 1]。1896年12月10日に63歳でノーベルは死去する[5]が、遺言は死の1年以上前の1895年11月27日にパリスウェーデン人ノルウェー人クラブにおいて署名されていた[6][7]

この遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナに及んだ[8]。周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった[9]。その後、彼の遺志を継ぐためにラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った[10]。賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされた。1897年4月には平和賞を授与するためのノルウェー・ノーベル委員会が設立され、6月7日にはカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、6月9日にはスウェーデン・アカデミーが、6月11日にはスウェーデン王立科学アカデミーが授与機関に選定されて[11]選考体制は整った。賞の授与体制が整うと、1900年にノーベル財団の設立法令がスウェーデン国王オスカル2世(1905年まで兼ノルウェー国王)によって公布された。1905年にノルウェーとスウェーデンは同君連合を解消したが、両国分離後も授与機関は変更されなかった[9]

部門

以下の部門から構成される。

特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の3部門における受賞は科学分野における世界最高の栄誉であると考えられている。近年は生理学・医学賞と化学賞、物理学賞との境界が曖昧な分野が増えてきている。

複数人による共同研究や、共同ではないが複数人による業績が受賞理由になる場合は、一度に3人まで同時受賞することができる[12]。ただし、同時受賞者の立場は対等とは限らず、受賞者の貢献度 (Prize share) に応じて賞金が分割される。なお、性質上「複数人による業績」が考えづらい文学賞は例外で、定数は一度に1人と定められている。また、基本的に個人にのみ与えられる賞であるが、平和賞のみ団体の受賞が認められており[12]、過去に国境なき医師団などが受賞している。

選考

ノーベル文学賞の決定機関であるスウェーデン・アカデミー(2005.08)

選考は「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会[13]が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ行う。

ノーベル賞の選考は秘密裏に行われ、その過程は受賞の50年後に公表される。よって「ノーベル賞の候補」というものは公的には存在しないことになるが、「いつか受賞するだろう」と目される人物が各分野に存在するのも事実である。トムソン・ロイターは旧トムソン時代から毎年独自にノーベル賞候補を選定発表している(トムソン・ロイター引用栄誉賞)が、これは近年の論文の引用数などから算出したものである。ただしノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いので、必ずしもこの基準で賞が決まるわけではない。最終選考は発表日当日に行われることが慣例になっており、マスコミの事前予測が難しい所以である。

資格

1973年までは、受賞者の候補に挙げられた時点で本人が生存していれば、故人に対して授賞が行われることもあった。例としては、1931年の文学賞を受賞したエリク・アクセル・カールフェルト、1961年の平和賞を受賞したダグ・ハマーショルドが授賞決定発表時に故人であった。

1974年以降は、授賞決定発表の時点で本人が生存していることが授賞の条件とされている。2011年には、医学生理学賞に選ばれたラルフ・スタインマンが授賞決定発表の3日前に死去していたことが後に判明し、問題となった[14]。ただし、授賞決定発表の後に本人が死去した場合には、その授賞が取り消されることはない。スタインマンの場合はこの規定に準ずる扱いを受けることになり、特別に故人でありながらも正式な受賞者として認定されることが決まった。

授賞式

ストックホルム・コンサートホールでの授賞式(2010年)

授賞式は、ノーベルの命日である12月10日に、「平和賞」を除く5部門はストックホルムスウェーデン)のコンサートホール、「平和賞」はオスロノルウェー)の市庁舎で行われ(古くはオスロ大学の講堂で行われた)、受賞者には、賞金の小切手賞状メダルがそれぞれ贈られる[15][16]

晩餐会・舞踏会

授賞式終了後、平和賞以外はストックホルム市庁舎(1930年まではストックホルムのグランドホテルの舞踏室)にて、スウェーデン王室および約1,300人のゲストが参加する晩餐会が行われる。王室の方々、受賞者などが階段を上がり、2階の別室へと退場された後、晩餐会はお開きとなり、そのまま2階のゴールデンホールという大きな部屋で舞踏会が始まる[17]。平和賞の晩餐会はオスロのグランドホテルで行われ、こちらにはノルウェーの国会、首相および2006年以降はノルウェーの国王夫妻を含めた約250人が招かれる。1979年の平和賞の晩餐会は受賞者のマザー・テレサが「貧しい人にお金を使ってください」として出席を辞退、開催を中止させて、晩餐会に使うはずだった7000USドルの費用はカルカッタの2000人のホームレスへのクリスマスの夕食に使われた。これは現時点で唯一の晩餐会が中止になった例である。

1991年にノーベル賞90周年事業の一環として、晩餐会に使う食器類をすべてスウェーデン製に置き換えようとしたが、カトラリーだけはその複雑なデザイン故に仕上げ研磨ができる技術が国内に無く、カトラリーのデザインを担当したゴナ・セリンが懇意にしていた新潟県燕市山崎金属工業に依頼した[18]。食器類など授賞式に使う調度品は、普段は厳重に鍵のかかった倉庫に保管されており、ノーベル賞の晩餐会にのみ使用される。晩餐会で使用されるカトラリーセットは「ノーベルデザインカトラリー」として一般向けにも販売されている。

その他のイベント

受賞者は受賞後にノーベル・レクチャーと呼ばれる記念講演を行うのが通例になっている。その後、受賞者はストックホルム大学やストックホルム経済大学などの大学の学生有志団体が毎年持ち回りで行うパーティーに出席し、そこで大学生らと希望する受賞者はさらなる躍進を願って一斉に「蛙跳び」をするのが慣例となっている。

授与

受賞者へは賞状とメダルと賞金が与えられる。受賞者に与えられる賞金は、ノーベルの遺言に基づき、彼の遺産をノーベル財団が運用して得た利益を原資としている。ただし「経済学賞」は1968年に創設され1969年から授与されたが、その原資はスウェーデン国立銀行の基金による。そのため、この賞は正式名称を「アルフレッド・ノーベルを記念した経済学におけるスウェーデン国立銀行賞」としており、厳密にはノーベル賞には含めない場合も多い。

ノーベル賞の賞金は、過去幾度も変動してきた。ノーベルは遺産を安全な有価証券にすることを指定しており、このため得られる利子額は長年にわたって低いものであり、賞金もそれに連動して設立当初より相対的に低い額にとどまっていた。こうした状況は1946年にノーベル財団が免税となったことと、1950年代に株式への投資が解禁されたことによって改善され、1990年代には設立当初の賞金レベルを回復した[12]2001年から現在まで賞金額は1,000万スウェーデン・クローナ(約1億円)である。しかしスウェーデンのノーベル財団は2012年6月11日の理事会で、過去10年間にわたって運用益が予想を下回ったことなどを理由として、2012年のノーベル賞受賞者に贈る賞金を2割少ない800万スウェーデン・クローナ(約8,900万円)とすることを決めた[19]。賞金の配分については、受賞者が2人(団体)の場合は全賞金を折半する。受賞者が3人(団体)の場合は、「1人ずつが単独の研究による受賞」「3人の共同研究による受賞」であれば1/3ずつ分けられ、「1人が単独、2人が共同研究による受賞」であれば単独受賞の人物が1/2、共同受賞の2人が残りの1/2(1人あたり1/4)を得る形になる。

なお、日本においてはノーベル賞の賞金は所得税法第9条第1項第13号ホにあるように、所得税は非課税となっている。これは、1949年に湯川秀樹が日本人として初のノーベル賞を受賞した際に、賞金への課税について論争が起こったのを受けて改正されたものである[20]

メダル

1974年(昭和49年)、佐藤栄作に贈られたノーベル平和賞の金メダル(国立公文書館所蔵)。

受賞時に渡されるメダルは1902年から使用され、ノーベル財団によって商標登録されている。1901年の第1回受賞時にはメダルが間に合わなかったため、第2回からの授与となっている。

メダルには表面にアルフレッド・ノーベルの肖像(横顔)と生没年が記されている。表面のデザインは物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞では同じであるが、平和賞と経済学賞では若干異なる。裏面のデザインは賞によって異なるが、物理学賞と化学賞では共通のデザインで、自然の女神のベールを科学の女神がそっと外して横顔を覗いているデザインとなっている。1980年以前のメダルは24Kの純金であったが、落としただけで曲がってしまったり、傷がつきやすいということもあって、現在では18Kを基材として、24Kでメッキした金メダルが使用されている。重量は約200g、直径約6.6cm。

メダルのレプリカは、受賞者本人が上限を3個として作成してもらうことが許可されている。

2010年までは、スウェーデン政府の機関が制作していたが、予算削減のため2011年からノルウェーの企業に委託されることになった。しかし国内での製造を望む国民の要望が多かったため、2012年からスウェーデンの民間企業で製造されることが決定した。

ガムラスタンにあるノーベル博物館には、ノーベル賞のメダルを模した「メダルチョコ」が売られており、観光客だけではなく授賞式に訪れた受賞者本人も土産として購入するという。益川敏英はこのチョコレートを600個も買い込んで話題となった[21]

科学史としてのノーベル賞

前述のようにノーベル賞の自然科学分野における受賞者は欧米の研究者を中心としており、1920年代に日本人の山極勝三郎がノミネートされた際には、選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」との発言があったことも明らかになっている[注 2]。また、元国連大使松平康東は、1930年代呉建がノミネートされた際には日本枢軸国であったことで受賞に至らなかったとしている[22]。欧米以外の国で研究活動を行った非欧米人では、1930年にインド人のチャンドラセカール・ラマンが物理学賞を受賞したのが最初である。日本人である湯川秀樹1949年受賞)、朝永振一郎1965年受賞)らがやはり物理学賞で受賞している。

受賞条件と辞退

ノーベル賞は受賞者が自然人の場合、「本人が生存中」が受賞条件だが、かつてはノミネート時点で生存していれば受賞決定時に死亡していてもよいこととされており、そのケースに当てはまる受賞者には、1931年文学賞のエリク・アクセル・カールフェルトと、1961年平和賞のダグ・ハマーショルドがいる。1973年から、10月の各賞受賞者発表時点で生存している必要があるが、その後死亡しても取り消されないことになり、その規定により1996年経済学賞のウィリアム・ヴィックリーは授賞式前に亡くなっても受賞が取り消されなかった。2011年生理学・医学賞のラルフ・スタインマンは受賞者発表の直後に当人がほんの3日前に死亡していたことが判明したが、これには受賞決定後に本人が死去した場合と同様の扱いをし、変更なく賞が贈られることになった。

これまでにノーベル賞の受賞を辞退したのは、ジャン=ポール・サルトル(1964年文学賞辞退)、レ・ドゥク・ト(1973年平和賞辞退)、ゲルハルト・ドーマク(1939年生理学・医学賞辞退)、ボリス・パステルナーク(1958年文学賞辞退)の4人であるが、ドーマクはナチス、パステルナークはソ連政府の圧力で強制的に辞退させられたものであり、ドーマクは戦後の1947年、パステルナークは没後に遺族が賞を受け取ったとされているため、最終的に受け取らなかったのは前者2名である。

評価と論争

ノーベルの遺言により、平和賞の選定はスウェーデンの機関ではなくノルウェー国会に委任されている。理由は諸説ありはっきりしないが、当時のスウェーデンとノルウェーは同君連合を組んでいたこと、そして当時のノルウェーには自主的外交権がなかったために平和賞の選考には常に中立性が期待できたことなどが理由と考えられている[23]

1929年の生理学・医学賞はビタミンB1の発見によりオランダクリスティアーン・エイクマンに贈られているが、エイクマンは米ぬかの中に脚気の治癒に効果のある栄養素(ビタミン)が存在することを示唆したにすぎず、実際にその栄養素をオリザニンとして分離・抽出したのは日本の鈴木梅太郎である。

1926年の生理学・医学賞は寄生虫によるガン発生を唱えたデンマークヨハネス・フィビゲルに贈られ、同時期に刺激説を唱えていた山極勝三郎が受賞を逃している。後年フィビゲルの説は限定的なものであるとして覆されている。

ポルトガルエガス・モニスロボトミー手術を確立したことで1949年の生理学・医学賞を受賞しているが、ロボトミーは効果が限定的であるにも関わらず副作用や事故が多く、またその後向精神薬が発達したこともあり、現在では臨床で使われることはない。モニス自身も実験的な手術を行っただけで、臨床に導入してはいなかった。

文学賞は、過去には歴史書や哲学書の著者にも贈られたことがあったが、1953年にイギリス首相のウィンストン・チャーチルが自著『第二次世界大戦回顧録』を理由に文学賞を受賞したことで選考対象の定義をめぐる論争が起った。結局これ以降、2016年にアメリカのシンガーソングライター・ミュージシャンのボブ・ディランが受賞するまで純文学の著者による受賞が続くことになる。

戦争を起こした当事者が平和賞を受賞したこともある。キャンプ・デービッド合意によりエジプトイスラエルの間に和平をもたらしたことが評価されて1978年の平和賞はエジプトのアンワル・サダト大統領とイスラエル首相のメナヘム・ベギン首相に贈られたが、そもそもその仲介役としてアメリカの重い腰を上げさせるために第四次中東戦争を企画し、イスラエルへの奇襲作戦を主導したのはそのサダト自身だった。結果的にサダトの狙いは的中したが、これは外交手段の一環として引き起こした戦争を恒久的平和にまで持ち込むことに成功した稀な例となった。一方、サダトとベギン両首脳に実に12日間にもわたってワシントンD.C.郊外の大統領保養地キャンプ・デービッドを自由に使わせ、難航する和平会談の成功に奔走したアメリカのジミー・カーター大統領が、この両首脳とともに平和賞を受賞しなかったことに対しては疑問を唱える声が各方面から上がった。そのカーターには2002年になって「数十年間にわたり国際紛争の平和的解決への努力を続けた」ことなどを理由に遅ればせながらの平和賞が贈られている。

平和賞は圧政下における反体制派のリーダーに贈られることがあることから、受賞者の国の政府から反発を受けることがよくある。その例として、ナチス・ドイツの再軍備を批判したカール・フォン・オシエツキーソ連の際限ない核武装を批判したアンドレイ・サハロフ中国に軍事占領されたチベットの亡命政権を代表するダライ・ラマ14世ポーランド民主化運動を主導した「連帯」のレフ・ワレサ南アフリカ人種隔離政策を批判したデズモンド・ツツ主教、ミャンマー軍事政権の圧政とビルマ民主化を訴えたアウンサンスーチー中国人権侵害を批判し民主化を訴えた劉暁波などが挙げられる。

1958年にノーベル文学賞を受賞したボリス・パステルナークは、ソ連政府の圧力により授賞辞退を余儀なくされた。それでもノーベル委員会は彼に一方的に賞を贈っている。

バーナード・ショーは、ノーベル賞について「殺生と破壊の手段であるダイナマイトを発明して金を儲けたノーベルの罪も大きいが、世界の人材を序列化するノーベル賞を作ったのは最もゆるせない罪」と批判した[24]

3通の遺言

ノーベルの遺言は3通ある[25]。書かれた年次は、順に1889年、1893年、1895年である。1889年の初めて書かれた遺言は破棄されている。

1893年に書かれた2通目は、最も形式が整ったものである。具体的な金額が盛り込まれておらず、遺産分配の割合が記されていた。親類・仕事仲間・友人らへ20%を与え、協会や研究所などに16%を寄付し、残りの64%を基金の設立のためにストックホルムの科学アカデミーに移譲するという内容であった。

  • 16%枠にオーストリア平和協会が入っていて、「平和運動推進のため」使うよう明記されていた。ベルタ・フォン・ズットナーに宛てた言葉と考えられている。
  • 64%枠について、(生理学と医学を除く分野で)業績を残した者に利子を与えること、そして、受賞要件とはしないが、欧州平和裁判所の設立に関して、政府や国家の偏見と、著作や行動で果敢に戦う者は、候補として推挙すること、なお、選考で国籍や性別を問わないことが記されている。

1895年に書かれた3通目は、ノーベルが翌年夏、ストックホルム・エンシルダ銀行に保管した。2通目以前を無効とする旨が明記されているが、2通目との違いは大きく分けて2点ある。1つは個人相続分が具体的な金額で示され、結果として2通目と比べた総額は実質的に1/3程度に縮小された点である。内訳は次の通り。なお、兄ロベルトの子供たち4人その他には生前にそれぞれ2万クローナが振り込まれた。

  • 甥ヤルマル 20万クローナ
  • 甥ルードヴィ 20万クローナ
  • 甥エマヌエル 30万クローナ
  • ゾフィー・ヘス 年金として26000フローリン
  • オルガ・ボットゲァー嬢(ゾフィーの妹) 10万クローナ
  • アラリック・リードベック 10万クローナ
  • エリーセ・アンツン嬢 年金として2500フラン
  • アルフレッド・ハモンド 1万ドル
  • エミー・ウィンケルマン嬢 15万マルク
  • マリエ・ウィンケルマン嬢 15万マルク
  • 家政婦のゴーシャー婦人 10万フラン
  • 召使アウグスト・オスワルド 年金として1000フラン
  • アウグストの妻アルフォンセ・オスワルド 1000フラン
  • 元庭師ジャン・レコツ 年金として300フラン
  • 郵便局員デッソル夫人 年金として300フラン
  • ジョルジュ・ファーレンバック 1899年1月まで毎年5000フラン

2通目との相違における第2点は、文学賞、医学賞、平和賞の選考主体を新たに指定した点である。これらの選考がスウェーデン王立科学アカデミーには難しいとノーベルが考えていたことが推測されている。

なお、3通目の終わりで指名された遺言執行人は、ラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストの2人である。

候補者の予想

トムソン・ロイターは、同社が運営する代表的なサイテーションインデックス(学術文献引用データベース)のWeb of Scienceの情報に基づいて、ノーベル賞の有力候補者の予想としてトムソン・ロイター引用栄誉賞を発表している。2011年のノーベル賞においては、自然科学系の3賞と経済学賞の受賞者9人全員が、過去にトムソン・ロイター引用栄誉賞で候補に挙げられていた[26]

賞に関する記録

ノーベル数学賞

ノーベル賞に数学部門が存在しない理由として、スウェーデンの著名な数学者ヨースタ・ミッタク=レフラーがノーベルの妻を奪ったことを根に持ったためだとする俗説があるが[27]、そもそもノーベルは生涯独身であった。

しかし、数学賞がない原因がミッタク=レフラーとの確執にあるという噂は、文献による証拠がないものの事実かもしれない[27]

実際、1890年にミッタク=レフラーがソーニャ・コワレフスカヤへの資金的援助をノーベルに頼んだとき、ノーベルはこれを断っている[27]。またノーベルの1883年の遺書には自身の遺産の一部をミッタク=レフラーのいたStockholms Högskola(後のストックホルム大学)にも渡すように書いていたが、1896年に最終版の遺書を書いたときにはこの記述を削除した[27]。Högskolaの学長を勤めたオットー・ペテルソンスヴァンテ・アレニウスの推測によれば、ノーベルの遺書からこの記述が削除されたのは、ノーベルがミッタク=レフラーを嫌っていたためである[27]

当時の人々によるミッタク=レフラーの性格に関する評価は肯定的なものではない[27]

数学者のフィールズも2人の確執はありそうな話だとしている[27]が、フィールズ自身はミッタク=レフラーと親しく、この事がフィールズ賞の設立に繋がったのではないかとする意見もある[27]

このような経緯があったにも関わらず、ミッタク=レフラーはマリ・キュリーのノーベル物理学賞受賞に貢献している。女性への偏見が強かったフランス科学アカデミーは彼女のノーベル賞への推薦を意図的に削除したのだが、ミッタク=レフラーが彼女を強く推したため、彼女はノーベル賞を受賞する運びとなったのである。詳細はマリ・キュリーの項目を参照。

脚注

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注釈

  1. ^ ノーベルは本来は土木工事の安全性向上を目的としてダイナマイトを発明したのであり、それが戦争に用いられたのはその意志に反していたという風聞があるが、実際にはノーベルにとってダイナマイトが戦争目的で使われることは想定内であった。むしろノーベルは、ダイナマイトのような破壊力の大きい兵器が使われること自体が戦争抑止力となることを期待した。死の商人として糾弾されたことは、ノーベルにとってダイナマイトが戦争抑止力として機能しなかったことに対しての衝撃であった(『当った予言、外れた予言』ジョン・マローン著 文春文庫 ISBN 4167308967)。
  2. ^ 朝日新聞社編 『100人の20世紀(上)』 朝日文庫 p237-「山極勝三郎」。ただし、科学ジャーナリストの馬場錬成はその著書『ノーベル賞の100年』(中公新書)の中で、3回にわたるノーベル財団への取材経験から、ノーベル賞選考における日本人差別は「100パーセントないだろう。」と指摘している。また、2004年に(山極が候補となった)1926年の医学生理学賞の選考書類を再調査した文献でもそのような指摘はない(山極の項目を参照)。
  3. ^ 自然科学分野では、ヨハネス・ベドノルツカール・アレクサンダー・ミュラーが、酸化物高温超伝導体の発見の論文発表から約1年後の1987年に受賞したのが最短記録。

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  20. ^ 賞金に税金かかる?湯川博士受賞を機に非課税に 五輪メダリストの報奨金もMSN産経ニュース、2014年10月8日閲覧。
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参考文献

関連項目

外部リンク



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Nobel Prize

encyclopedia
The Nobel Prize
A golden medallion with an embossed image of Alfred Nobel facing left in profile. To the left of the man is the text "ALFR•" then "NOBEL", and on the right, the text (smaller) "NAT•" then "MDCCCXXXIII" above, followed by (smaller) "OB•" then "MDCCCXCVI" below.
Awarded for Outstanding contributions for humanity in chemistry, literature, peace, physics, or physiology or medicine. Often confused with Nobel Memorial Prize in Economic Sciences.
Country
  • Sweden (all prizes except the Peace Prize)
  • Norway (Peace Prize only)
Presented by
  • Swedish Academy
  • Nobel committee of Royal Swedish Academy of Sciences
  • Nobel committee of Karolinska Institutet
  • Norwegian Nobel Committee
Reward(s) 9 million SEK (2017)[1]
First awarded
  • 1901; 116 years ago (1901)
Number of laureates 579 prizes to 911 laureates as of 2016
Website nobelprize.org

The Nobel Prize (/ˈnbɛl/, Swedish pronunciation: [nʊˈbɛl]; Swedish definite form, singular: Nobelpriset; Norwegian: Nobelprisen) is a set of annual international awards bestowed in several categories by Swedish and Norwegian institutions in recognition of academic, cultural or scientific advances.

The will of the Swedish inventor Alfred Nobel established the prizes in 1895. The prizes in Chemistry, Literature, Peace, Physics and Physiology or Medicine were first awarded in 1901.[2] Medals made before 1980 were struck in 23 carat gold, and later from 18 carat green gold plated with a 24 carat gold coating. Between 1901 and 2016, the Nobel Prizes and the Nobel Memorial Prize in Economic Sciences were awarded 579 times to 911 people and organisations. With some receiving the Nobel Prize more than once, this makes a total of 23 organisations, and 881 individuals.[3]

The prize ceremonies take place annually in Stockholm, Sweden (with the exception of the peace prize, which is held in Oslo, Norway). Each recipient, or laureate, receives a gold medal, a diploma, and a sum of money that has been decided by the Nobel Foundation. (As of 2017, each prize is worth SEK 9,000,000 or about US$1,110,000, €944,000, £836,000, INR 726,939,000,Or CNR 376,000.)[4] The Nobel Prize is widely regarded as the most prestigious award available in the fields of literature, medicine, physics, chemistry, peace, as is the Prize in Economic Sciences.[5]

The Royal Swedish Academy of Sciences awards the Nobel Prize in Physics, the Nobel Prize in Chemistry, and the Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel; the Nobel Assembly at Karolinska Institutet awards the Nobel Prize in Physiology or Medicine; the Swedish Academy grants the Nobel Prize in Literature; and the Nobel Peace Prize is awarded not by a Swedish organisation but by the Norwegian Nobel Committee.

The prize is not awarded posthumously; however, if a person is awarded a prize and dies before receiving it, the prize may still be presented.[6] Though the average number of laureates per prize increased substantially during the 20th century, a prize may not be shared among more than three people, although the Nobel Peace Prize can be awarded to organizations of more than three people.[7

History

A black and white photo of a bearded man in his fifties sitting in a chair.
Alfred Nobel had the unpleasant surprise of reading his own obituary, which was titled The merchant of death is dead, in a French newspaper.

Alfred Nobel (About this sound listen ) was born on 21 October 1833 in Stockholm, Sweden, into a family of engineers.[8] He was a chemist, engineer, and inventor. In 1894, Nobel purchased the Bofors iron and steel mill, which he made into a major armaments manufacturer. Nobel also invented ballistite. This invention was a precursor to many smokeless military explosives, especially the British smokeless powder cordite. As a consequence of his patent claims, Nobel was eventually involved in a patent infringement lawsuit over cordite. Nobel amassed a fortune during his lifetime, with most of his wealth from his 355 inventions, of which dynamite is the most famous.[9]

In 1888, Nobel was astonished to read his own obituary, titled The merchant of death is dead, in a French newspaper. As it was Alfred's brother Ludvig who had died, the obituary was eight years premature. The article disconcerted Nobel and made him apprehensive about how he would be remembered. This inspired him to change his will.[10] On 10 December 1896, Alfred Nobel died in his villa in San Remo, Italy, from a cerebral haemorrhage. He was 63 years old.[11]

Nobel wrote several wills during his lifetime. He composed the last over a year before he died, signing it at the Swedish–Norwegian Club in Paris on 27 November 1895.[12][13] To widespread astonishment, Nobel's last will specified that his fortune be used to create a series of prizes for those who confer the "greatest benefit on mankind" in physics, chemistry, physiology or medicine, literature, and peace.[14] Nobel bequeathed 94% of his total assets, 31 million SEK (c. US$186 million, €150 million in 2008), to establish the five Nobel Prizes.[15][16] Because of scepticism surrounding the will, it was not until 26 April 1897 that it was approved by the Storting in Norway.[17] The executors of Nobel's will, Ragnar Sohlman and Rudolf Lilljequist, formed the Nobel Foundation to take care of Nobel's fortune and organise the award of prizes.[18]

Nobel's instructions named a Norwegian Nobel Committee to award the Peace Prize, the members of whom were appointed shortly after the will was approved in April 1897. Soon thereafter, the other prize-awarding organisations were designated or established. These were Karolinska Institutet on 7 June, the Swedish Academy on 9 June, and the Royal Swedish Academy of Sciences on 11 June.[19] The Nobel Foundation reached an agreement on guidelines for how the prizes should be awarded; and, in 1900, the Nobel Foundation's newly created statutes were promulgated by King Oscar II.[14] In 1905, the personal union between Sweden and Norway was dissolved.

Nobel Foundation

A paper with stylish handwriting on it with the title "Testament"
Alfred Nobel's will stated that 94% of his total assets should be used to establish the Nobel Prizes.

The Nobel Foundation was founded as a private organisation on 29 June 1900. Its function is to manage the finances and administration of the Nobel Prizes.[20] In accordance with Nobel's will, the primary task of the Foundation is to manage the fortune Nobel left. Robert and Ludvig Nobel were involved in the oil business in Azerbaijan, and according to Swedish historian E. Bargengren, who accessed the Nobel family archives, it was this "decision to allow withdrawal of Alfred's money from Baku that became the decisive factor that enabled the Nobel Prizes to be established".[21] Another important task of the Nobel Foundation is to market the prizes internationally and to oversee informal administration related to the prizes. The Foundation is not involved in the process of selecting the Nobel laureates.[22][23] In many ways, the Nobel Foundation is similar to an investment company, in that it invests Nobel's money to create a solid funding base for the prizes and the administrative activities. The Nobel Foundation is exempt from all taxes in Sweden (since 1946) and from investment taxes in the United States (since 1953).[24] Since the 1980s, the Foundation's investments have become more profitable and as of 31 December 2007, the assets controlled by the Nobel Foundation amounted to 3.628 billion Swedish kronor (c. US$560 million).[25]

According to the statutes, the Foundation consists of a board of five Swedish or Norwegian citizens, with its seat in Stockholm. The Chairman of the Board is appointed by the Swedish King in Council, with the other four members appointed by the trustees of the prize-awarding institutions. An Executive Director is chosen from among the board members, a Deputy Director is appointed by the King in Council, and two deputies are appointed by the trustees. However, since 1995, all the members of the board have been chosen by the trustees, and the Executive Director and the Deputy Director appointed by the board itself. As well as the board, the Nobel Foundation is made up of the prize-awarding institutions (the Royal Swedish Academy of Sciences, the Nobel Assembly at Karolinska Institute, the Swedish Academy, and the Norwegian Nobel Committee), the trustees of these institutions, and auditors.[25]

First prizes

A black and white photo of a bearded man in his fifties sitting in a chair.
Wilhelm Röntgen received the first Physics Prize for his discovery of X-rays.

Once the Nobel Foundation and its guidelines were in place, the Nobel Committees began collecting nominations for the inaugural prizes. Subsequently, they sent a list of preliminary candidates to the prize-awarding institutions.

The Nobel Committee's Physics Prize shortlist cited Wilhelm Röntgen's discovery of X-rays and Philipp Lenard's work on cathode rays. The Academy of Sciences selected Röntgen for the prize.[26][27] In the last decades of the 19th century, many chemists had made significant contributions. Thus, with the Chemistry Prize, the Academy "was chiefly faced with merely deciding the order in which these scientists should be awarded the prize."[28] The Academy received 20 nominations, eleven of them for Jacobus van 't Hoff.[29] Van 't Hoff was awarded the prize for his contributions in chemical thermodynamics.[30][31]

The Swedish Academy chose the poet Sully Prudhomme for the first Nobel Prize in Literature. A group including 42 Swedish writers, artists, and literary critics protested against this decision, having expected Leo Tolstoy to be awarded.[32] Some, including Burton Feldman, have criticised this prize because they consider Prudhomme a mediocre poet. Feldman's explanation is that most of the Academy members preferred Victorian literature and thus selected a Victorian poet.[33] The first Physiology or Medicine Prize went to the German physiologist and microbiologist Emil von Behring. During the 1890s, von Behring developed an antitoxin to treat diphtheria, which until then was causing thousands of deaths each year.[34][35]

The first Nobel Peace Prize went to the Swiss Jean Henri Dunant for his role in founding the International Red Cross Movement and initiating the Geneva Convention, and jointly given to French pacifist Frédéric Passy, founder of the Peace League and active with Dunant in the Alliance for Order and Civilization.

Second World War[edit]

In 1938 and 1939, Adolf Hitler's Third Reich forbade three laureates from Germany (Richard Kuhn, Adolf Friedrich Johann Butenandt, and Gerhard Domagk) from accepting their prizes.[36] Each man was later able to receive the diploma and medal.[37] Even though Sweden was officially neutral during the Second World War, the prizes were awarded irregularly. In 1939, the Peace Prize was not awarded. No prize was awarded in any category from 1940–42, due to the occupation of Norway by Germany. In the subsequent year, all prizes were awarded except those for literature and peace.[38]

During the occupation of Norway, three members of the Norwegian Nobel Committee fled into exile. The remaining members escaped persecution from the Germans when the Nobel Foundation stated that the Committee building in Oslo was Swedish property. Thus it was a safe haven from the German military, which was not at war with Sweden.[39] These members kept the work of the Committee going, but did not award any prizes. In 1944, the Nobel Foundation, together with the three members in exile, made sure that nominations were submitted for the Peace Prize and that the prize could be awarded once again.[36]

Prize in Economic Sciences

Map of Nobel laureates by country

In 1968, Sveriges Riksbank (Swedish National Bank) celebrated its 300th anniversary by donating a large sum of money to the Nobel Foundation to be used to set up a prize in honour of Nobel. The following year, the Nobel Memorial Prize in Economic Sciences was awarded for the first time. The Royal Swedish Academy of Sciences became responsible for selecting laureates. The first laureates for the Economics Prize were Jan Tinbergen and Ragnar Frisch "for having developed and applied dynamic models for the analysis of economic processes."[40][41] Although not a Nobel Prize, it is intimately identified with the other awards; the laureates are announced with the Nobel Prize recipients, and the Prize in Economic Sciences is presented at the Swedish Nobel Prize Award Ceremony.[42] The Board of the Nobel Foundation decided that after this addition, it would allow no further new prizes.[43]

Award process

The award process is similar for all of the Nobel Prizes; the main difference is in who can make nominations for each of them.[44]

The announcement of the laureates in Nobel Prize in Chemistry 2009 by Gunnar Öquist, permanent secretary of the Royal Swedish Academy of Sciences
2009 Nobel Prize in Literature announcement by Peter Englund in Swedish, English, and German

Nominations

Nomination forms are sent by the Nobel Committee to about 3,000 individuals, usually in September the year before the prizes are awarded. These individuals are generally prominent academics working in a relevant area. Regarding the Peace Prize, inquiries are also sent to governments, former Peace Prize laureates, and current or former members of the Norwegian Nobel Committee. The deadline for the return of the nomination forms is 31 January of the year of the award.[44][45] The Nobel Committee nominates about 300 potential laureates from these forms and additional names.[46] The nominees are not publicly named, nor are they told that they are being considered for the prize. All nomination records for a prize are sealed for 50 years from the awarding of the prize.[47][48]

Selection

The Nobel Committee then prepares a report reflecting the advice of experts in the relevant fields. This, along with the list of preliminary candidates, is submitted to the prize-awarding institutions.[49] The institutions meet to choose the laureate or laureates in each field by a majority vote. Their decision, which cannot be appealed, is announced immediately after the vote.[50] A maximum of three laureates and two different works may be selected per award. Except for the Peace Prize, which can be awarded to institutions, the awards can only be given to individuals.[51]

Posthumous nominations

Although posthumous nominations are not presently permitted, individuals who died in the months between their nomination and the decision of the prize committee were originally eligible to receive the prize. This has occurred twice: the 1931 Literature Prize awarded to Erik Axel Karlfeldt, and the 1961 Peace Prize awarded to UN Secretary General Dag Hammarskjöld. Since 1974, laureates must be thought alive at the time of the October announcement. There has been one laureate, William Vickrey, who in 1996 died after the prize (in Economics) was announced but before it could be presented.[52] On 3 October 2011, the laureates for the Nobel Prize in Physiology or Medicine were announced; however, the committee was not aware that one of the laureates, Ralph M. Steinman, had died three days earlier. The committee was debating about Steinman's prize, since the rule is that the prize is not awarded posthumously.[6] The committee later decided that as the decision to award Steinman the prize "was made in good faith", it would remain unchanged.[53]

Recognition time lag

Nobel's will provided for prizes to be awarded in recognition of discoveries made "during the preceding year". Early on, the awards usually recognised recent discoveries.[54] However, some of these early discoveries were later discredited. For example, Johannes Fibiger was awarded the 1926 Prize for Physiology or Medicine for his purported discovery of a parasite that caused cancer.[55] To avoid repeating this embarrassment, the awards increasingly recognised scientific discoveries that had withstood the test of time.[56][57][58] According to Ralf Pettersson, former chairman of the Nobel Prize Committee for Physiology or Medicine, "the criterion 'the previous year' is interpreted by the Nobel Assembly as the year when the full impact of the discovery has become evident."[57]

A room with pictures on the walls. In the middle of the room there is a wooden table with chairs around it.
The committee room of the Norwegian Nobel Committee

The interval between the award and the accomplishment it recognises varies from discipline to discipline. The Literature Prize is typically awarded to recognise a cumulative lifetime body of work rather than a single achievement.[59][60] The Peace Prize can also be awarded for a lifetime body of work. For example, 2008 laureate Martti Ahtisaari was awarded for his work to resolve international conflicts.[61][62] However, they can also be awarded for specific recent events.[63] For instance, Kofi Annan was awarded the 2001 Peace Prize just four years after becoming the Secretary-General of the United Nations.[64] Similarly Yasser Arafat, Yitzhak Rabin, and Shimon Peres received the 1994 award, about a year after they successfully concluded the Oslo Accords.[65]

Awards for physics, chemistry, and medicine are typically awarded once the achievement has been widely accepted. Sometimes, this takes decades – for example, Subrahmanyan Chandrasekhar shared the 1983 Physics Prize for his 1930s work on stellar structure and evolution.[66][67] Not all scientists live long enough for their work to be recognised. Some discoveries can never be considered for a prize if their impact is realised after the discoverers have died.[68][69][70]

Award ceremonies

Two men standing on a stage. The man to the left is clapping his hands and looking towards the other man. The second man is smiling and showing two items to an audience not seen on the image. The items are a diploma which includes a painting and a box containing a gold medal. Behind them is a blue pillar clad in flowers.
A man in his fifties standing behind a desk with computers on it. On the desk is a sign reading "Kungl. Vetensk. Akad. Sigil".
Left: Barack Obama after receiving the Nobel Peace Prize in Oslo City Hall from the hands of Norwegian Nobel Committee Chairman Thorbjørn Jagland; Right: Giovanni Jona-Lasinio presenting Yoichiro Nambu's Nobel Lecture at Aula Magna, Stockholm in 2008

Except for the Peace Prize, the Nobel Prizes are presented in Stockholm, Sweden, at the annual Prize Award Ceremony on 10 December, the anniversary of Nobel's death. The recipients' lectures are normally held in the days prior to the award ceremony. The Peace Prize and its recipients' lectures are presented at the annual Prize Award Ceremony in Oslo, Norway, usually on 10 December. The award ceremonies and the associated banquets are typically major international events.[71][72] The Prizes awarded in Sweden's ceremonies' are held at the Stockholm Concert Hall, with the Nobel banquet following immediately at Stockholm City Hall. The Nobel Peace Prize ceremony has been held at the Norwegian Nobel Institute (1905–1946), at the auditorium of the University of Oslo (1947–1989), and at Oslo City Hall (1990–present).[73]

The highlight of the Nobel Prize Award Ceremony in Stockholm occurs when each Nobel laureate steps forward to receive the prize from the hands of the King of Sweden. In Oslo, the Chairman of the Norwegian Nobel Committee presents the Nobel Peace Prize in the presence of the King of Norway.[72][74] At first, King Oscar II did not approve of awarding grand prizes to foreigners. It is said that his mind changed once his attention had been drawn to the publicity value of the prizes for Sweden.[75]

Nobel Banquet

A set table with a white table cloth. There are many plates and glasses plus a menu visible on the table.
Table at the 2005 Nobel Banquet in Stockholm

After the award ceremony in Sweden, a banquet is held in the Blue Hall at the Stockholm City Hall, which is attended by the Swedish Royal Family and around 1,300 guests.

The Nobel Peace Prize banquet is held in Norway at the Oslo Grand Hotel after the award ceremony. Apart from the laureate, guests include the President of the Storting, the Prime Minister, and, since 2006, the King and Queen of Norway. In total, about 250 guests attend.

Nobel lecture[edit]

According to the statutes of the Nobel Foundation, each laureate is required to give a public lecture on a subject related to the topic of their prize.[76] The Nobel lecture as a rhetorical genre took decades to reach its current format.[77] These lectures normally occur during Nobel Week (the week leading up to the award ceremony and banquet, which begins with the laureates arriving in Stockholm and normally ends with the Nobel banquet), but this is not mandatory. The laureate is only obliged to give the lecture within six months of receiving the prize. Some have happened even later. For example, US President Theodore Roosevelt received the Peace Prize in 1906 but gave his lecture in 1910, after his term in office.[78] The lectures are organised by the same association which selected the laureates.[79]

Prizes

Medals

It was announced on 30 May 2012 that the Nobel Foundation had awarded the contract for the production of the five (Swedish) Nobel Prize medals to Svenska Medalj AB. Formerly, the Nobel Prize medals were minted by Myntverket (the Swedish Mint) from 1902 to 2010. Myntverket, Sweden's oldest company, ceased operations in 2011 after 1,017 years. In 2011, the Mint of Norway, located in Kongsberg, made the medals. The Nobel Prize medals are registered trademarks of the Nobel Foundation.[80] Each medal features an image of Alfred Nobel in left profile on the obverse. The medals for physics, chemistry, physiology or medicine, and literature have identical obverses, showing the image of Alfred Nobel and the years of his birth and death. Nobel's portrait also appears on the obverse of the Peace Prize medal and the medal for the Economics Prize, but with a slightly different design. For instance, the laureate's name is engraved on the rim of the Economics medal.[81] The image on the reverse of a medal varies according to the institution awarding the prize. The reverse sides of the medals for chemistry and physics share the same design.[82]

A heavily decorated paper with the name "Fritz Haber" on it.
Laureates receive a heavily decorated diploma together with a gold medal and the prize money. Here Fritz Haber's diploma is shown, which he received for the development of a method to synthesise ammonia.

All medals made before 1980 were struck in 23 carat gold. Since then, they have been struck in 18 carat green gold plated with 24 carat gold. The weight of each medal varies with the value of gold, but averages about 175 grams (0.386 lb) for each medal. The diameter is 66 millimetres (2.6 in) and the thickness varies between 5.2 millimetres (0.20 in) and 2.4 millimetres (0.094 in).[83] Because of the high value of their gold content and tendency to be on public display, Nobel medals are subject to medal theft.[84][85][86] During World War II, the medals of German scientists Max von Laue and James Franck were sent to Copenhagen for safekeeping. When Germany invaded Denmark, Hungarian chemist (and Nobel laureate himself) George de Hevesy dissolved them in aqua regia (nitro-hydrochloric acid), to prevent confiscation by Nazi Germany and to prevent legal problems for the holders. After the war, the gold was recovered from solution, and the medals re-cast.[87]

Diplomas

Nobel laureates receive a diploma directly from the hands of the King of Sweden, or in the case of the peace prize, the Chairman of the Norwegian Nobel Committee. Each diploma is uniquely designed by the prize-awarding institutions for the laureates that receive them.[81] The diploma contains a picture and text in Swedish which states the name of the laureate and normally a citation of why they received the prize. None of the Nobel Peace Prize laureates has ever had a citation on their diplomas.[88][89]

Award money

The laureates are given a sum of money when they receive their prizes, in the form of a document confirming the amount awarded.[81] The amount of prize money depends upon how much money the Nobel Foundation can award each year. The purse has increased since the 1980s, when the prize money was 880 000 SEK (c. 2.6 million SEK, US$350 000 today) per prize. In 2009, the monetary award was 10 million SEK (US$1.4 million).[90][91] In June 2012, it was lowered to 8 million SEK.[92] If there are two laureates in a particular category, the award grant is divided equally between the recipients. If there are three, the awarding committee has the option of dividing the grant equally, or awarding one-half to one recipient and one-quarter to each of the others.[93][94][95] It is common for recipients to donate prize money to benefit scientific, cultural, or humanitarian causes.[96][97]

Controversies and criticisms

Controversial recipients

When it was announced that Henry Kissinger was to be awarded the Peace Prize, two of the Norwegian Nobel Committee members resigned in protest.

Among other criticisms, the Nobel Committees have been accused of having a political agenda, and of omitting more deserving candidates. They have also been accused of Eurocentrism, especially for the Literature Prize.[98][99][100]

Peace Prize

Among the most criticised Nobel Peace Prizes was the one awarded to Henry Kissinger and Lê Đức Thọ. This led to the resignation of two Norwegian Nobel Committee members. Lê Đức Thọ declined the prize.[101] Kissinger and Thọ were awarded the prize for negotiating a ceasefire between North Vietnam and the United States in January 1973. However, when the award was announced, both sides were still engaging in hostilities.[102] Many critics were of the opinion that Kissinger was not a peace-maker but the opposite, responsible for widening the war.[47][103]

Yasser Arafat, Shimon Peres, and Yitzhak Rabin received the Peace Prize in 1994 for their efforts in making peace between Israel and Palestine.[47][104] Immediately after the award was announced, one of the five Norwegian Nobel Committee members denounced Arafat as a terrorist and resigned.[105] Additional misgivings about Arafat were widely expressed in various newspapers.[106]

Another controversial Peace Prize was that awarded to Barack Obama in 2009.[107] Nominations had closed only eleven days after Obama took office as President of the United States, but the actual evaluation occurred over the next eight months.[108] Obama himself stated that he did not feel deserving of the award,[109] or worthy of the company it would place him in.[110] Past Peace Prize laureates were divided, some saying that Obama deserved the award, and others saying he had not secured the achievements to yet merit such an accolade. Obama's award, along with the previous Peace Prizes for Jimmy Carter and Al Gore, also prompted accusations of a left-wing bias.[111]

Literature Prize

The award of the 2004 Literature Prize to Elfriede Jelinek drew a protest from a member of the Swedish Academy, Knut Ahnlund. Ahnlund resigned, alleging that the selection of Jelinek had caused "irreparable damage to all progressive forces, it has also confused the general view of literature as an art." He alleged that Jelinek's works were "a mass of text shovelled together without artistic structure."[112][113] The 2009 Literature Prize to Herta Müller also generated criticism. According to The Washington Post, many US literary critics and professors were ignorant of her work.[114] This made those critics feel the prizes were too Eurocentric.[115]

Science prizes

In 1949, the neurologist António Egas Moniz received the Physiology or Medicine Prize for his development of the prefrontal leucotomy. The previous year, Dr. Walter Freeman had developed a version of the procedure which was faster and easier to carry out. Due in part to the publicity surrounding the original procedure, Freeman's procedure was prescribed without due consideration or regard for modern medical ethics. Endorsed by such influential publications as The New England Journal of Medicine, leucotomy or "lobotomy" became so popular that about 5,000 lobotomies were performed in the United States in the three years immediately following Moniz's receipt of the Prize.[116][117]

Overlooked achievements]

The Norwegian Nobel Committee declined to award a prize in 1948, the year of Gandhi's death, on the grounds that "there was no suitable living candidate."
James Joyce, one of the controversial omissions of the Literature Prize

The Norwegian Nobel Committee confirmed that Mahatma Gandhi was nominated for the Peace Prize in 1937–39, 1947, and a few days before he was assassinated in January 1948.[118] Later, members of the Norwegian Nobel Committee expressed regret that he was not given the prize.[119] Geir Lundestad, Secretary of Norwegian Nobel Committee in 2006, said, "The greatest omission in our 106 year history is undoubtedly that Mahatma Gandhi never received the Nobel Peace prize. Gandhi could do without the Nobel Peace prize. Whether Nobel committee can do without Gandhi is the question".[120] In 1948, the year of Gandhi's death, the Nobel Committee declined to award a prize on the grounds that "there was no suitable living candidate" that year.[119][121] Later, when the Dalai Lama was awarded the Peace Prize in 1989, the chairman of the committee said that this was "in part a tribute to the memory of Mahatma Gandhi."[122] Other high-profile individuals with widely recognised contributions to peace have been missed out. Foreign Policy lists Eleanor Roosevelt, Václav Havel, Ken Saro-Wiwa, Sari Nusseibeh, and Corazon Aquino as people who "never won the prize, but should have."[123]

In 1965, UN Secretary General U Thant was informed by the Norwegian Permanent Representative to the UN that he would be awarded that year's prize and asked whether or not he would accept. He consulted staff and later replied that he would. At the same time, Chairman Gunnar Jahn of the Nobel Peace prize committee, lobbied heavily against giving U Thant the prize and the prize was at the last minute awarded to UNICEF. The rest of the committee all wanted the prize to go to U Thant, for his work in defusing the Cuban Missile Crisis, ending the war in the Congo, and his ongoing work to mediate an end to the Vietnam War. The disagreement lasted three years and in 1966 and 1967 no prize was given, with Gunnar Jahn effectively vetoing an award to U Thant.[124][125]

The Literature Prize also has controversial omissions. Adam Kirsch has suggested that many notable writers have missed out on the award for political or extra-literary reasons. The heavy focus on European and Swedish authors has been a subject of criticism.[126][127] The Eurocentric nature of the award was acknowledged by Peter Englund, the 2009 Permanent Secretary of the Swedish Academy, as a problem with the award and was attributed to the tendency for the academy to relate more to European authors.[128] This tendency towards European authors still leaves some European writers on a list of notable writers that have been overlooked for the Literature Prize, including Europe's Leo Tolstoy, Anton Chekhov, J. R. R. Tolkien, Émile Zola, Marcel Proust, Vladimir Nabokov, James Joyce, August Strindberg, Simon Vestdijk, Karel Čapek, the New World's Jorge Luis Borges, Ezra Pound, John Updike, Arthur Miller, Mark Twain, and Africa's Chinua Achebe.[129]

Candidates can receive multiple nominations the same year. Gaston Ramon received a total of 155[130] nominations in physiology or medicine from 1930 to 1953, the last year with public nomination data for that award as of 2016. He died in 1963 without being awarded. Pierre Paul Émile Roux received 115[131] nominations in physiology or medicine, and Arnold Sommerfeld received 84[132] in physics. These are the three most nominated scientists without awards in the data published as of 2016.[133] Otto Stern received 79[134] nominations in physics 1925–43 before being awarded in 1943.[135]

The strict rule against awarding a prize to more than three people is also controversial.[136] When a prize is awarded to recognise an achievement by a team of more than three collaborators, one or more will miss out. For example, in 2002, the prize was awarded to Koichi Tanaka and John Fenn for the development of mass spectrometry in protein chemistry, an award that did not recognise the achievements of Franz Hillenkamp and Michael Karas of the Institute for Physical and Theoretical Chemistry at the University of Frankfurt.[137][138] According to one of the nominees for the prize in physics, the three person limit deprived him and two other members of his team of the honour in 2013: the team of Carl Hagen, Gerald Guralnik, and Tom Kibble published a paper in 1964 that gave answers to how the cosmos began, but did not share the 2013 Physics Prize awarded to Peter Higgs and François Englert, who had also published papers in 1964 concerning the subject. All five physicists arrived at the same conclusion, albeit from different angles. Hagen contends that an equitable solution is to either abandon the three limit restriction, or expand the time period of recognition for a given achievement to two years.[139]

Similarly, the prohibition of posthumous awards fails to recognise achievements by an individual or collaborator who dies before the prize is awarded. In 1962, Francis Crick, James D. Watson, and Maurice Wilkins were awarded the Physiology or Medicine Prize for discovering the structure of DNA. Rosalind Franklin, a key contributor in that discovery, died of ovarian cancer four years earlier.[140] The Economics Prize was not awarded to Fischer Black, who died in 1995, when his co-author Myron Scholes received the honour in 1997 for their landmark work on option pricing along with Robert C. Merton, another pioneer in the development of valuation of stock options. In the announcement of the award that year, the Nobel committee prominently mentioned Black's key role.

Political subterfuge may also deny proper recognition. Lise Meitner and Fritz Strassmann, who co-discovered nuclear fission along with Otto Hahn, may have been denied a share of Hahn's 1944 Nobel Chemistry Award due to having fled Germany when the Nazis came to power.[141] The Meitner and Strassmann roles in the research was not fully recognised until years later, when they joined Hahn in receiving the 1966 Enrico Fermi Award.

Emphasis on discoveries over inventions

Alfred Nobel left his fortune to finance annual prizes to be awarded "to those who, during the preceding year, shall have conferred the greatest benefit on mankind."[142] He stated that the Nobel Prizes in Physics should be given "to the person who shall have made the most important 'discovery' or 'invention' within the field of physics." Nobel did not emphasise discoveries, but they have historically been held in higher respect by the Nobel Prize Committee than inventions: 77% of the Physics Prizes have been given to discoveries, compared with only 23% to inventions. Christoph Bartneck and Matthias Rauterberg, in papers published in Nature and Technoetic Arts, have argued this emphasis on discoveries has moved the Nobel Prize away from its original intention of rewarding the greatest contribution to society.[143][144]

Gender disparity

In terms of the most prestigious awards in STEM fields, only a small proportion have been awarded to women. Looking at the Nobel Prize, out of 199 laureates in Physics, 169 in Chemistry and 207 in Medicine, there were only two female laureates in physics, four in chemistry and 11 in medicine between 1901 and 2014.[145][146]

Specially distinguished laureates

Multiple laureates

A black and white portrait of a woman in profile.
Marie Curie, one of four people who have received the Nobel Prize twice (Physics and Chemistry)

Four people have received two Nobel Prizes. Marie Curie received the Physics Prize in 1903 for her work on radioactivity and the Chemistry Prize in 1911 for the isolation of pure radium,[147] making her the only person to be awarded a Nobel Prize in two different sciences. Linus Pauling was awarded the 1954 Chemistry Prize for his research into the chemical bond and its application to the structure of complex substances. Pauling was also awarded the Peace Prize in 1962 for his activism against nuclear weapons, making him the only laureate of two unshared prizes. John Bardeen received the Physics Prize twice: in 1956 for the invention of the transistor and in 1972 for the theory of superconductivity.[148] Frederick Sanger received the prize twice in Chemistry: in 1958 for determining the structure of the insulin molecule and in 1980 for inventing a method of determining base sequences in DNA.[149][150]

Two organisations have received the Peace Prize multiple times. The International Committee of the Red Cross received it three times: in 1917 and 1944 for its work during the world wars; and in 1963 during the year of its centenary.[151][152][153] The United Nations High Commissioner for Refugees has been awarded the Peace Prize twice for assisting refugees: in 1954 and 1981.[154]

Family laureates

The Curie family has received the most prizes, with four prizes awarded to five individual laureates. Marie Curie received the prizes in Physics (in 1903) and Chemistry (in 1911). Her husband, Pierre Curie, shared the 1903 Physics prize with her.[155] Their daughter, Irène Joliot-Curie, received the Chemistry Prize in 1935 together with her husband Frédéric Joliot-Curie. In addition, the husband of Marie Curie's second daughter, Henry Labouisse, was the director of UNICEF when it was awarded the Nobel Peace Prize in 1965.[156]

Although no family matches the Curie family's record, there have been several with two laureates. The husband-and-wife team of Gerty Cori and Carl Ferdinand Cori shared the 1947 Prize in Physiology or Medicine[157] as did the husband-and-wife team of May-Britt Moser and Edvard Moser in 2014 (along with John O'Keefe).[158] J. J. Thomson was awarded the Physics Prize in 1906 for showing that electrons are particles. His son, George Paget Thomson, received the same prize in 1937 for showing that they also have the properties of waves.[159] William Henry Bragg and his son, William Lawrence Bragg, shared the Physics Prize in 1915 for inventing the X-ray spectrometer.[160] Niels Bohr was awarded the Physics prize in 1922, as did his son, Aage Bohr, in 1975.[156][161] Manne Siegbahn, who received the Physics Prize in 1924, was the father of Kai Siegbahn, who received the Physics Prize in 1981.[156][162] Hans von Euler-Chelpin, who received the Chemistry Prize in 1929, was the father of Ulf von Euler, who was awarded the Physiology or Medicine Prize in 1970.[156] C. V. Raman was awarded the Physics Prize in 1930 and was the uncle of Subrahmanyan Chandrasekhar, who was awarded the same prize in 1983.[163][164] Arthur Kornberg received the Physiology or Medicine Prize in 1959; Kornberg's son, Roger later received the Chemistry Prize in 2006.[165] Jan Tinbergen, who was awarded the first Economics Prize in 1969, was the brother of Nikolaas Tinbergen, who received the 1973 Physiology or Medicine Prize.[156] Alva Myrdal, Peace Prize laureate in 1982, was the wife of Gunnar Myrdal who was awarded the Economics Prize in 1974.[156] Economics laureates Paul Samuelson and Kenneth Arrow were brothers-in-law. Frits Zernike, who was awarded the 1953 Physics Prize, is the great-uncle of 1999 Physics laureate Gerard 't Hooft.[166]

Cultural impact

Being a symbol of scientific or literary achievement that's recognisable worldwide, the Nobel Prize is often depicted in fiction. This includes films like The Prize and Nobel Son about fictional Nobel laureates as well as fictionalised accounts of stories surrounding real prizes such as Nobel Chor, a film based on the unsolved theft of Rabindranath Tagore's prize.[167]

Refusals and constraints

A black and white portrait of a man in a suit and tie. Half of his face is in a shadow.
Richard Kuhn, who was forced to decline his Nobel Prize in Chemistry

Two laureates have voluntarily declined the Nobel Prize. In 1964, Jean-Paul Sartre was awarded the Literature Prize but refused, stating, "A writer must refuse to allow himself to be transformed into an institution, even if it takes place in the most honourable form."[168] Lê Đức Thọ, chosen for the 1973 Peace Prize for his role in the Paris Peace Accords, declined, stating that there was no actual peace in Vietnam.[169]

During the Third Reich, Adolf Hitler hindered Richard Kuhn, Adolf Butenandt, and Gerhard Domagk from accepting their prizes. All of them were awarded their diplomas and gold medals after World War II. In 1958, Boris Pasternak declined his prize for literature due to fear of what the Soviet Union government might do if he travelled to Stockholm to accept his prize. In return, the Swedish Academy refused his refusal, saying "this refusal, of course, in no way alters the validity of the award."[169] The Academy announced with regret that the presentation of the Literature Prize could not take place that year, holding it until 1989 when Pasternak's son accepted the prize on his behalf.[170][171] Aung San Suu Kyi was awarded the Nobel Peace Prize in 1991, but her children accepted the prize because she had been placed under house arrest in Burma; Suu Kyi delivered her speech two decades later, in 2012.[172] Liu Xiaobo was awarded the Nobel Peace Prize in 2010 while he and his wife were under house arrest in China as political prisoners, and he was unable to accept the prize in his lifetime.

Legacy

The memorial symbol "Planet of Alfred Nobel" was opened in Dnipropetrovsk University of Economics and Law in 2008. On the globe, there are 802 Nobel laureates' reliefs made of a composite alloy obtained when disposing of military strategic missiles.[173][174]

See also

References

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Sources

Bibliography

Further reading

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