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NHK100分de名著[荘子]、
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②、
③、
④、、
「荘子」第一部、
第二部、
国立国会図書(荘子内篇)
(荘子外篇)
(荘子雑篇)
電子図書
養生主篇
養生主第三(1)
吾生也有涯,而知也無涯。以有涯隨無涯,殆已!已而為知者,殆而已矣!為善無近名,為惡無近刑,?督以為經,可以保身,可以全生,可以養親,可以盡年。
吾(わ)が生や涯(ガイ・かぎり)あり、而(しか)も知や涯(ガイ・かぎり)なし。涯(ガイ・かぎり)あるを以て涯(ガイ・かぎり)なきに隨(したが)うは、殆(あやう)きのみ。已(のみ)にして知を為(な)す者は殆(あやう)きのみ。善を為すも名に近づくことなく、悪を為すも刑に近づくことなかれ。督(トク)に縁(よ)りて以て経(つね)と為さば、以て身(み)を保(たも)つべく、以て生を全うすべく、以て親を養うべく、以て年(よわい)を尽くすべし。
われわれの人生は有限である。しかし、人間の知と欲とは、外へ外へと無限に広がってゆく。有限の身で無限のことを追い求めるのはあやういことだ。あやうきのみであるのに、なおかつ知の放埒(ホウラツ)に身を委ねる者は危険この上もないことだ。
善を行うことがあっても、名(メイ)に近づくことがあってはならない。悪を行うことがあっても、刑罰に近づくことがあってはならない。(名を得て喜ぶ者は名を失う悲哀の前に立ち、今日の栄誉を歓ぶ者は明日の刑戮に戦慄しなければならない ・・・ 福永光司)善悪二つながらに忘れた無心の境地に立って、これを「経(つね)」つまり、生活の根本原理としてよりどころとしていくなら、一斎の世間的な桎梏(シッコク)から自己を安らかに保って自由な生を楽しむことができるばかりでなく、親にも十分な孝養がつくせ、本来の寿命を全うして、生涯を無事に過ごすことができるであろう。
養生主第三(2)
庖丁為文惠君解牛,手之所觸,肩之所倚,足之所履,膝之所�燿,�椀然響然,奏刀�蘓然,莫不中音,合於桑林之舞,乃中經首之會。
庖丁(ホウテイ)、文恵君のために牛を解(と)けり。手の触るる所、肩の倚(よ)る所、足の履(ふ)む所、膝(ひざ)の�燿(かが)まる所、�椀然(カクゼン)たり、響然(キョウゼン)たり。刀(トウ)を奏(すす)むること�蘓然(カクゼン)として音に中(あた)らざること莫(な)く、桑林(ソウリン)の舞(まい)に合(かな)い、乃(すなわ)ち経首(ケイシュ)の会(カイ・しらべ)に中(あた)る。
ある時、庖丁(ホウテイ)が文恵君のために牛を料理して見せたことがあった。
庖丁の手がふれるところ、肩を寄せるところ、足をふんばるところ、膝(ひざ)をかがめるところなど、(その身のこなしは、なんともいえず見事である)
彼が牛刀(ギュウトウ)を動かし進めるにつれて肉がザクリザクリ(�蘓然)と切り裂かれてゆく、その手さばきがみな音律(リズム)にかなって快く、身のこなしは「桑林の舞」という、昔、商(=殷)の湯王が桑林という土地で雨乞いをした時用いたという舞楽もかくやと思わせるほどであり、そのリズミカルな手さばきは、堯の時代の音楽「咸池」の一楽章である「経首」を演奏するときのオーケストラの旋律そのものであった。
養生主第三(3)
文惠君曰:「譆,善哉!技蓋至此乎?」庖丁釋刀對曰:「臣之所好者,道也,進乎技矣。始臣之解牛之時,所見無非(全)牛者。三年之後,未嘗見全牛也。方今之時,臣以神遇,而不以目視,官知止而神欲行。依乎天理,批大郤,導大?,因其固然。技經肯綮之未嘗,而況大?乎!
文惠君(ブンケイクン)曰わく、「譆(ああ)、善(よ)い哉(かな)。技(わざ)も蓋(けだ)し、此(ここ)に至(いた)るか」と。
庖丁は刀を釈(お)いて対(こた)えて曰わく、「臣の好むところのものは道なり。技(わざ)を進(こ)えたり。始め臣の牛を解(と)きし時、見るところ牛に非ざるものなかりき。三年の後にして未だ嘗つて全牛を見ざるなり。今の時に方(あた)っては、臣は神(こころ)を以て遇(あ)いて、目を以て視(み)ず。官知(カンチ)止(や)みて「神欲」(シンヨク)行なわる。天理に依りて、大郤(タイゲキ・おおいなるすきま)を批(う)ち、大?(タイカン・おおいなるあな)に導き、其の固(もと)より然(しか)るところに因(よ)る。技(わざ)の肯綮(コウケイ)を経(ふ)ること未だ嘗つてあらず。而(しか)るを況(いわ)んや大?(タイコ・おおいなるほね)をや。
それを見た、文恵君は
「ああ、みごとなものだ。技も奥義を極めると、こんなにもなれるものか」
と感嘆の声をあげた。
すると庖丁は牛刀を置いて文恵君に対(こた)える。
「私の求めるところは道でございまして、技以上のものでございます。私が牛をはじめて料理した時分には、目にうつるものはただ牛の姿ばかり、(どこから手をつけてよいのか見当さえもつきませんでしたが)それが三年目にやっと、牛の全体像が目につかなくなり、牛の体のそれぞれの部分が目に見えるようになりました。
そして現在ではもはや、形を超えた心のはたらきで牛をとらえ、目で視て(形に頼って)仕事をすることはなくなりました。
「官知」すなわち、あらゆる感覚器官にもとづく知覚は、その動きをひそめ、「神欲」すなわち、精神のはたらきだけが動いているのです。
「天理」すなわち牛の体にある本来自然の理(すじめ)に従って、「大郤(タイゲキ)」すなわち骨と肉の間にある大きな隙間(すきま)に刃(やいば)をふるい、骨節の大きな?(あな)に刃を導き入れて、牛の体の本来のしくみに従って処理するのです。
だから私が技(うで)をふるえば、骨と肉の微妙にいりくんだ部分に刃をあてることはありませんし、まして「大?(タイコ)」すなわち、大きな骨に刃をあてることは決してありません。
養生主第三(4)
良庖?更刀,割也;族庖月更刀,折也。今臣之刀十九年矣,所解數千牛矣,而刀刃若新發於硎。彼節者有間,而刀刃者無厚;以無厚入有間,恢恢乎其於游刃必有餘地矣。是以十九年,而刀刃若新發於硎。雖然,?至於族,吾見其難為,?然為戒,視為止,行為遲。動刀甚微,?然已解,如土委地。提刀而立,為之四顧,為之躊躇滿志,善刀而藏之。」
文惠君曰:「善哉!吾聞庖丁之言,得養生焉。」
良庖(リョウホウ)は?(とし)ごとに刀を更(か)う。割(さ)けばなり。「族庖」(ゾクホウ)は月ごとに刀を更(か)う。折ればなり。今臣の刀は十九年なり。解(と)くところは数千牛なり。而(しか)も刀刃(トウジン)は新たに硎(といし)より発せしが若(ごと)し。彼(か)の節(セツ・ほねのつぎめ)なる者には間(すきま)有りて、刀刃(トウジン)なる者には厚みなし。厚(あつ)み無きものを以て間(すきま)有るところに入るれば、恢恢乎(カイカイコ・ひろびろ)として其の刃(やいば)を遊ばす(つかいこなす)に必ず余地あり。是(こ)れを以て十九年にして、刀刃(トウジン)新たに硎(といし)より発せしが若(ごと)し。然(しか)りと雖(いえど)も、族(ゾク)に至る毎(ごと)に、吾(わ)れ其の為(な)し難(がた)きを見て、?然(ジュツゼン)として為(ため)に戒(いまし)め、視(み)ること為(ため)に止(とど)まり、行(や)ること為(ため)に遅く、刀を動かすこと甚(はなは)だ微(ビ)なり。?然(カクゼン)として已(すで)に解(と)くれば、土の地に委(お)つるが如(ごと)くなれば、刀を提(ひっさ)げて立ち、之(これ)が為(ため)に四顧(シコ)し、之(これ)が為(ため)に躊躇(チュウチョ)して志(こころざし)を満たし、刀を善(ぬぐ)いて之(これ)を蔵(おさ)む」と。
文恵君曰わく、「善(よ)い哉(かな)。吾(わ)れ庖丁の言を聞きて、生を養うを得たり」と。
「良庖」すなわち、腕のよい料理人は一年くらいで牛刀を取り替えますが、それでも刃こぼれがきます。「族庖」すなわち、月並みな料理人になりますと、一月(ひとつき)ごとに牛刀を取り替えますが、それは牛刀を骨に打ち当てて折ってしまうからです。ところで私の牛刀は、新調してから今まで十九年になり、料理した牛の数は数千頭になりますが、たった今砥石(といし)で研(と)いだように刃こぼれ一つありません。あの牛の骨節には間隙(すきま)がありますが、この牛刀の刃さきには厚みがありません。その厚みのない刃を間隙(すきま)のあるところに入れてゆくのですから、「恢恢乎」すなわち、ひろびろとして、刃を使いこなすのに必ず十分なゆとりがあります。十九年も使いつづけて、研(と)ぎたての牛刀のように刃こぼれ一つないのは、このためでございます。とは申しますものの、「族」すなわち、牛の体の筋や骨の族(むらが)り集まっているところにぶつかりますと、その仕事の難しさを見てとって、「?然」おっかなびっくり、しっかりと心をひきしめて緊張し、視線を一点に集中し、手のはこびを遅くし、牛刀の動かし方も極めて微妙になります。
やがて「?然」(パサリ)と音がして、肉が離れてしまうと、土の塊(かたまり)が大地に落ちるように肉の山が地上に横たわります。私はほっとして牛刀を提(ひっさ)げたまま立ち上がり、ぐるりと四方を見回し、しばらくはその場を去りがたく、しばしためらった後、会心の笑みをうかべて牛刀をぬぐい、これを大事にしまうのでございます」
文恵君は言った。「いかにも見事だ。わしは庖丁の話を聞いて、養生(ヨウセイ)の道、すなわち与えられた自己の人生を全うする根本原理を会得した。」
養生主第三(5)
公文軒見右師而驚曰:「是何人也?惡乎介也?天與?其人與?」
曰:「天也,非人也。天之生是使獨也,人之貌有與也。以是知其天也,非人也。」
澤雉十歩一啄,百歩一飲,不�擅畜乎樊中。神雖王,不善也。
公文軒、右師(ウシ)を見て驚きて曰わく、「是(こ)れ何人(なんぴと)ぞや。悪(いずく)にか介(カイ・あしきられ)せられたるや。天か、其(そ)れ人か」と。
曰わく、「天なり、人に非(あら)ざるなり。天の是(こ)れを生ずるに独(ドク・かたあし)ならしめしなり。人の貌(かたち)は与(あた)うるものあり。是(こ)れを以て、其(そ)の天にして人に非ざることを知るなり」と。
沢雉(タクチ・さわのきじ)は十歩に一啄(イッタク・ひとたびついばみ)し、百歩に一飲(イチイン・ひとたびみずのむ)するも、樊中(ハンチュウ)に畜(やしな)わるることを�擅(もと)めず。神(シン・こころ)は王(さかん)なりと雖(いえど)も、善(たの)しからざればなり」と。
公文軒(コウブンケン)が(足切りの刑にあった)右師(ウシ)を見て、びっくりしていった。
「まあ、なんという人間だ。どこで一体そのような一本足にされたのか。天のせいかね、それとも人のせいかね」
すると右師は答えていう。
「天命でこうなったのだよ。人のせいではない。天がわしを生むときに、一本足になるように運命づけたんだよ。だいたい人間の顔かたちというものは、すべて天から授かった(先天的な)ものだ。だから全く天のせいで、人のせいではないことがわかるではないか」
沢べにすむ野生の雉(きじ)は、十歩あゆんでやっとわずかの餌(えさ)にありつき、百歩あゆんでやっとわずかの水を飲むというありさまだが、それでも樊(かご)のなかに飼われることは望まないだろう。樊(かご)のなかでは、たらふく餌を貰って気力は充ち溢れても、(山野を自由に遊び回る楽しみも味わえないから)いっこうに楽しくないからである。
養生主第三(6)
老聃死,秦失弔之,三號而出。弟子曰:「非夫子之友邪?」曰:「然。」「然則弔焉若此,可乎?」曰:「然。始也吾以為其人也,而今非也。向吾入而弔焉,有老者哭之,如哭其子;少者哭之,如哭其母。彼其所以會之,必有不?言而言,不?哭而哭者。是遁天倍情,忘其所受,古者謂之遁天之刑。適來,夫子時也;適去,夫子順也。安時而處順,哀樂不能入也,古者謂是帝之縣解。」
指窮於為薪,火傳也,不知其盡也。
老聃(ロウタン)死す。秦失(シンイツ)之を弔えり。三たび号(ゴウして・な)きて出ず。
弟子曰わく、「夫子(フウシ)の友に非ざるか」と。
曰わく、「然り」と。
「然らば則ち、弔(とむら)うこと此(か)くの若(ごと)くにして可(よ)きか」と。
曰わく「然り。始めは吾れ其の人と以為(おも)いしも、今は非(しか)らざるなり。向(さき)ほど吾れ入りて而弔いしに、老いたる者は之に哭(な)くこと其の子に哭(な)くが如く、少(おさな)き者は之に哭(な)くこと其の母に哭(な)くが如きあり。彼れ其の之(こ)のひとびとを会(あつ)めたる所以(ゆえん)は、必ず言うことを?めずして言わしめ、哭(な)くことを?めずして哭(な)かしむるもの有りしならん。是(こ)れ天を遁(のが)れ情(まこと)に倍(そむ)き、其の受くる所を忘れたり。古(いにしえ)は之を天を遁(のが)るるの刑(つみ)と謂(い)えり。適(たま)たま来るは夫子の時(とき)のめぐりあわせなり。適(たま)たま去るは夫子のめぐりあわせに順(したが)えるなり。時に安んじて順(したが)うことに処(やすら)げば、哀樂も入る能わざるなり。古(いにしえ)は是(こ)れを帝(テイ)の縣解(ケンカイ)と謂(い)えり。
窮(つ)くることを薪(たきぎ)を為(すす)むるに指(ゆびさ)すも、火は伝わるなり。其の尽くるを知らざるなり」と。
老聃(ロウタン)が死んだ。老秦失(シンイツ)は弔問に出かけたが、(極めて形式的に)作法どおり三度の号泣をすますと、さっさと外に出てしまった。
これを見た、老子の弟子が、いぶかしく思ってたずねた。
「あなたは先生の友人ではないのですか」と。
「そうだ」
「それなら、あんな型どおりの弔い方ですまして、よろしいのでしょうか」
秦失(シンイツ)は答えた。
「そうだ。あれでよいのだよ。以前わしは老?(ロウタン)という男を、誠にすぐれた人物だと考えていたが、今はそうではない(考えを改めた)。
さきほどわしが部屋に入って弔問したとき、老人たちは、まるでわが子でもうしなったかのように哭(な)いているし、若者たちは、その母でもうしなった時のように哭(な)いて、とても見られたざまではなかったのだよ。老?がこんな連中を会(あつ)めたのは、きっと、お弔いを求められもしないのにかってに弔い、哭(な)いたりすることを求められもしないのにかってに哭泣しているものであろうが、要求しなくとも周囲の人々が自然と集まってそういうことをするように、平素から仕向けておいたからに違いない。人間の死とは、全く天(自然)の道理ではないか。それを君たちがかくも哭(な)いたり、喚(わめ)いたりするというのは、天の道理を遁(に)げまわり、人間存在の実相に背いて、天から受けた自己の生命の本質の何たるかを忘れたからで、要するに老?(ロウタン)の哲学がほんものでなかった証拠だよ。昔はこれを天の道理を逃げまわる刑罰(真理逃避の罪)と呼んだものだ。あの先生がたが、たまたまこの世に生まれてきたのは、彼が生まれるべき時にめぐり合わせたからであり、たまたまこの世を去ったのは、あの先生がたが死すべき自然の道理に順(したが)ったまでではないか。何事も時のまわり合わせに任せて、生まれたからといって喜んだりせず、何事も自然の道理に順(したが)って死が訪れてきたからといって嘆き悲しまず、一切を自然のまにまに振舞ってゆけば、哀しみも楽(よろこ)びも心を紊(みだ)す余地はないであろう。昔はこのような境地に立ち得た人間を絶対の自由者 ─ 天帝の縛(いまし)めから解放された人間 ─ と呼んだものだ。
いったい、薪というものは火にくべると燃えて尽きてしまうものだが、薪は燃え尽きても火そのものは薪の存在する限り、つぎつぎに新しい薪に伝わって決して無くなるものではない。それと同じく、人間の生命も個々の人間に関する限り一度は滅び失せるものではあるが、生命そのものは永劫に尽きることのないものだ。個々の事象にとらわれるところに人間の惑いと悲しみがある。君たちの悲しみ嘆いているのがその惑いであり、君たちを悲しみ嘆かせるところに老?の哲学の疑わしい点があるのだ。
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人間生篇
人間世第四(1) 顏回見仲尼,請行。
顏回見仲尼,請行。曰:「奚之?」曰:「將之衛。」曰:「奚為焉?」曰:「回聞衛君,其年壯,其行獨。輕用其國,而不見其過。輕用民死,*死者以國量乎澤若蕉,民其無如矣!回嘗聞之夫子曰:『治國去之,亂國就之。醫門多疾。』願以所聞思其則,庶幾其國有?乎!」
顏回(ガンカイ)仲尼(チュウジ)に見(まみ)えて、行かんことを請(こ)う。
曰わく、「奚(いずく)にか之(ゆ)く」と。
曰わく、「将(まさ)に衛(エイ)に之(ゆ)かんとす」と。
曰わく、「奚(なに)をか為(な)さんとするや」と。
曰わく、「回(カイ)の聞けるに、衛の君は其(そ)の年壮(わか)くして、其の行ないは独(ドク・きまま)なり。軽(かるがろ)しく其の国を用いて、而(しか)も其の過(あやま)ちを見(かえりみ)ず。軽(かるがろ)しく民を死に用い、*死者は国を以てし、沢(さわ)に量(はか)りて蕉(あさ)の若(ごと)し。民は其(そ)れ如(のが)るるすべ無しと。回(カイ)嘗(か)つて之(これ)を夫子(フウシ)に聞けり。曰わく、『治まれる国は之を去り、乱れし国は之に就(つ)け。医門(イモン・くすしのモン)には疾(や)めるもの多し』と。願わくは聞く所を以て、其の則(のり)を思わん。其の国、癒ゆること有るに庶幾(ちか)からんか」と。
顏回(ガンカイ)は孔子に面会して、旅に出たいと願い出た。
「どこへ行くんだね」
「衛(エイ)の国に出かけようと思います」
「何をしようというんだね」
「私の聞くところによりますと、衛の君主は年も若く、独断のふるまいが多くて、浅はかな考えで国じゅうを動かしておいて自分のあやまちに気づかず、かるがるしく民を使役して死にいたらしめ、国じゅうに死者が満ちあふれています。おびただしい死者の数は一々数えることができないので、沢を単位にして計算するほどであり、その屍体は刈り取られて積み上げられた麻のように累々と重なっているということで、民衆はまったく身の置きどころがないということです。
以前、私は先生から教えていただいたことがあります。
『治まっている国からは立ち去り、乱れている国ならそこへ行け。乱れた国に行けば、医者の門に病人がむらがるように、救いを求める人々が集まってくるだろう』と。
何とかこのおことばに従って、その実行の方法を考えていきたいと思います。そうすれば、きっと衛の国の病気もなおることでしょう」と。
人間世第四(2) 德蕩乎名,知出乎爭
仲尼曰:「譆,若殆往而刑耳!夫道不欲雜,雜則多,多則擾,擾則憂,憂而不救。古之至人,先存諸己,而後存諸人。所存於己者未定,何暇至於暴人之所行!且若亦知夫德之所蕩,而知之所為出乎哉?德蕩乎名,知出乎爭。名也者,相軋也;知也者,爭之器也。二者凶器,非所以盡行也。
仲尼曰(い)わく「譆(ああ),若(なんじ)殆(ほとんど)往(ゆ)きて刑せられん耳(のみ)!
夫(そ)れ道は雜(ザツ)なるを欲せず。雜ならば則(すなわ)ち多く,多ければ則ち擾(みだ)れ,擾るれば則ち憂(うれ)う。憂うれば而(すなわ)ち救えず。
古(いにしえ)の至人(シジン)は,先(ま)ず諸(これ)を己(おの)れに存して,而(しか)る後に諸を人に存す。己れに存する所の者, 未(いま)だ定まらず。何ぞ暴人(ボウジン)の行なう所に至るに暇(いとま)あらんや!
且(か)つ若も亦(また)夫(か)の徳の蕩(うしな)わるる所にして,知の出(い)ずるを為(な)す所を知るや? 徳は名に蕩(うしな)われ,知は争いより出(い)ず。名なる者は,相(あい)軋(きし)るなり。知なる者は,争いの器(うつわ)なり。二者は凶器にして,行ないを尽くす所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。
これに対して、孔子(仲尼)は言った。
ああ、そんな調子で衛の国へ行ったら、お前は恐らく死刑にあうだけだ。
道は純粋なものだから雑(まじ)りけがあってはいけないもので、雑りけがあれば多様になり、多様であれば心が乱れ、心が乱れることは心を憂えさせることだ。自分の心に憂いがあるようでは他人を救うことはできない。
昔の至人(シジン)─ 道に達した人間・道と一体になった人間 は、まず自分が絶対者となって、しかるのちに他人を絶対者にすることを考えた。自分自身に道 ─ 絶対の境地 の確立されていない人間が、暴君の行為を救い正すことなどできるはずがない。
それだけではない、(お前は名誉心が旺盛で、己れの賢さを恃む心が強すぎる)お前はまた、絶対者の純粋無雑な徳が何によって失われ、人間の知が何によって生じてきたかをわきまえているか。絶対者の純粋無雑な徳は名にとらわれることによって失われ、人間の知は闘争によってはぐくまれてきた。名(名誉)は善悪競いあう対立に成立し、知(知識)は互いに傷つけ陥れあう闘争の武器である。名にとらわれ、知を恃むところから人類のあらゆる不幸が始まる。名と知とは人類がわれとわが身を斃(たお)す凶器なのだ。人間の行いを完成させるようなものではない。
人間世第四(3)
且德厚信矼,未達人氣,名聞不爭,未達人心。而彊以仁義繩墨之言,術暴人之前者,是以人惡有其美也,命之曰菑人。菑人者,人必反菑之,若殆為人菑夫!
且つ徳は厚く信は矼(かた)きも未だ人の気に達せず、名聞は争わざるも、未だ人の心に達せず、而(しか)も彊(し)いて仁義繩墨(ジンギジョウボク)の言を以て,暴人の前に術(の)ぶる者は、是れ人の悪を以て其の美を有(ほこ)るなり。
これを命(なづ)けて菑人(サイジン)と曰う。菑人なる者は、人必ず反(かえ)ってこれに菑(わざわい)せん。若(なんじ)は殆(おそ)らくは人に菑(わざわい)せら為(ら)れん夫(かな)!
それに、お前の徳が十分厚く、お前の誠実さが堅固であっても(自己が誠実であり、純粋でありさえすれば、それだけで事が足りると考えるならば大間違いだ)、まだ相手の気心もわからないうちに、仁義道徳のお題目を暴君の前でまくしたてるというのは、他人の悪事を種にして自己の正しさを相手に押売りすることになる。つまり、人の弱点を食い物にして自分の長所をひけらかすというやつだ。
このように、おせっかいで他人に迷惑をおよぼす人間を、菑人(サイジン)─ いつも周囲の人間を傷つけてまわる男─ という。
他人を傷つけてまわって自分だけ無事でありおおせるわけがない。他人に災いを及ぼすような者には、他人のほうでも、必ずあべこべに災いのお返しをするものだ。お前もその独善と、善意の押売りを用心しないと、きっと他人から災いを受けることだろう。
人間世第四(3)
且德厚信矼,未達人氣,名聞不爭,未達人心。而彊以仁義繩墨之言,術暴人之前者,是以人惡有其美也,命之曰菑人。菑人者,人必反菑之,若殆為人菑夫!
且つ徳は厚く信は矼(かた)きも未だ人の気に達せず、名聞は争わざるも、未だ人の心に達せず、而(しか)も彊(し)いて仁義繩墨(ジンギジョウボク)の言を以て,暴人の前に術(の)ぶる者は、是れ人の悪を以て其の美を有(ほこ)るなり。
これを命(なづ)けて菑人(サイジン)と曰う。菑人なる者は、人必ず反(かえ)ってこれに菑(わざわい)せん。若(なんじ)は殆(おそ)らくは人に菑(わざわい)せら為(ら)れん夫(かな)!
それに、お前の徳が十分厚く、お前の誠実さが堅固であっても(自己が誠実であり、純粋でありさえすれば、それだけで事が足りると考えるならば大間違いだ)、まだ相手の気心もわからないうちに、仁義道徳のお題目を暴君の前でまくしたてるというのは、他人の悪事を種にして自己の正しさを相手に押売りすることになる。つまり、人の弱点を食い物にして自分の長所をひけらかすというやつだ。
このように、おせっかいで他人に迷惑をおよぼす人間を、菑人(サイジン)─ いつも周囲の人間を傷つけてまわる男─ という。
他人を傷つけてまわって自分だけ無事でありおおせるわけがない。他人に災いを及ぼすような者には、他人のほうでも、必ずあべこべに災いのお返しをするものだ。お前もその独善と、善意の押売りを用心しないと、きっと他人から災いを受けることだろう。
人間世第四(4)
且苟為悅賢而惡不肖,惡用而求有以異?若唯無詔,王公必將乘人而鬭其捷。而目將熒之,而色將平之,口將營之,容將形之,心且成之。是以火救火,以水救水,名之曰益多。順始無窮,若殆以不信厚言,必死於暴人之前矣!
且(か)つ苟(いやし)くも賢を悦びて不肖(フショウ)を悪(にく)むことを為さば、悪(いずく)んぞ而(なんじ)を用いて以て異あることを求めんや。
若(なんじ)は唯(た)だ詔(つ)ぐること無なかれ。王公必ず將(まさ)に人に乗じて其の捷(か)ちを闘わさんとす。而(なんじ)の目は將(まさ)に之に熒(まどわ)されんとし、而(なんじ)の色は將(まさ)に之に平(かわ)らんとし、口は將(まさ)に之に營(あげつら)わんとし,容(かたち)は將(まさ)に之に形づくらんとし、心は且(まさ)に之に成らんとす。是(こ)れ火を以て火を救い、水を以て水を救うなり。之を名づけて益多(エキタ)と曰(い)う。始めに順(したがいて・ゆずれば)窮まり無し。
若(なんじ)は殆(おそ)らく、信ぜられざるを以て厚言(コウゲン・おもいきりいさめ)せば。必ず暴人の前に死せん!
それに、もし衛の君主が心から賢者を好んで愚者を憎むような人間だとすれば、今さらお前を任用して目先の変わったことをしようなどと思うはずもあるまい。
だから、お前は何も言わぬがよい。何か言えば王公の権勢でのしかかってきて(王公の権力をかさにきて)、お前を言い負かそうといどんでくるだろう。こうなれば、お前はたじたじとなり目の色は落ち着きを失い、顔色は変わり、口はもぐもぐと何か言いわけをしようとし、態度は表面ばかりをとりつくろい(へなへなとおとなしくなって)、心は相手の言いなりになってしまうであろう。(そうなるとお前の説得も逆効果で)まるで火を消すために火を加え、水を止めるために水をそそぐ羽目になる。いわゆる「益多(エキタ)」─ 輪をかける(多いうえに多くする) ─ というのがこれだ。最初にこちらが一歩を譲ると、その譲歩は果てしない譲歩となって、遂には取り返しのつかぬことになるものだ。
もし、お前が相手の信用も得ていないのに、あの乱暴者の前でずけずけものを言えば殺されるにきまっている。
人間世第四(5)
且昔者桀殺關龍逢,紂殺王子比干,是皆修其身以下傴拊人之民,以下拂其上者也,故其君因其修以擠之。是好名者也。昔者堯攻叢枝、胥敖,禹攻有扈,國為虛厲,身為刑戮。其用兵不止,其求實無已。是皆求名實者也,而獨不聞之乎?名實者,聖人之所不能勝也,而況若乎!
且(か)つ昔者(むかし)桀(ケツ)は關龍逢(カンリュウホウ)を殺し、紂(チュウ)は王子比干(ヒカン)を殺せり。是(こ)れ皆其の身を修めて、下(しも・けらい)を以て人の民を傴拊(ウフ・いつくしみ)し、下を以て其の上(かみ)に拂(さから)いし者なり。故に其の君は、其の修(おさ)まれるに因(よ)りて以て之を擠(おとしい)れたり。是(こ)れ名を好みし者なり。
昔者(むかし)堯(ギョウ)は叢(ソウ)・枝(シ)・胥敖(ショゴウ)を攻め、禹(ウ)は有扈(ユウコ)を攻め、國は虛厲(キョレイ)と為(な)り、身は刑戮(ケイリク)せらる。其の兵を用うること止(や)まず、其の實(ジツ)を求むること已(や)む無(な)ければなり。是(こ)れみな名と實とを求めし者なり。
而(なんじ)は獨(ひと)り之を聞かざるか?名と實とは聖人すら勝つ能(あた)わざる所なり。而(しか)るを況(いわ)んや若(なんじ)をや!
それにだよ顔回、と孔子のことばはつづく。
昔、夏の桀王は忠臣の關龍逢(カンリュウホウ)を殺し、殷の紂王(チュウオウ)は忠臣の王子比干を殺した。
このふたりの忠臣は、いずれもその身の徳を修め、他人の支配下の人民に情(なさけ)を施し、臣下の身分でありながら上にある君主の心に逆らった。だから彼らの君主たちは、このふたりの臣下の徳行が修まっていればこそ、彼らの賢徳を悪んで罪に陥れて殺してしまったのだ。このふたりは名声を好んで身を滅ぼしたものである。
また昔、堯帝(ギョウテイ)は叢(ソウ)・枝(シ)・胥敖(ショゴウ)の三国を攻め、禹王(ウオウ)は有扈(ユウコ)を攻めるということがあったが、そのためこれらの諸国は廃墟となり、その君主たちは死刑となった。それというのも、これらの国の君主が兵を用いてやめず、実利を求めてやまなかったからである。これらはいずれも名声と実利を求めたものの例である。
お前も聞いたことがあるだろう。名声と実利の誘惑には、聖人さえも勝つことができないほどのものだ。ましてお前などは、なおさらだよ。
人間世第四(6)
「雖然,若必有以也,嘗以語我來!」顏回曰「端而虛,勉而一,則可乎?」曰:「惡!惡可!夫以陽為充孔揚采色不定,常人之所不違,因案人之所感,以求容與其心。名之曰日漸之德不成,而況大德乎!將執而不化,外合而內不訾,其庸詎可乎!」
「然りと雖(いえど)も、若(なんじ)必ず以(ゆえ)あらん。嘗(こころ)みに以て我れに語(つ)げ來(よ)!」と。
顏回曰わく、「端(タン)にして虛(キョ)、勉(つと)めて一(いつ)にせば、則(すなわ)ち可(カ)ならんか?」と。
曰わく、「惡(ああ)!惡(いず)くんぞ可(カ)ならんや!夫(そ)れ陽(うわべ)を以て充(み)つると為(な)して孔(はなは)だ揚(あが)りて、采色(サイショク)定まらず、常人の違(たが)わざる所なり。因(よ)りて人の感ずる所を案(おさ)えて、以て其の心を容與(ヨウヨ)せんことを求む。これを名づけて日漸(ニチゼン)の德も成らずと曰(い)う。而るを況(いわ)んや大德をや!將(まさ)に執(と)りて化(カ)せざらんとす。外(そと)に合うとも内は訾(おも)わざらん。其れ庸詎(いず)くんぞ可ならんや!」と。
「とはいうものの、お前が行こうとするからには、それ相当のわけがあってのことに違いない。(そのわけとやらを聞こうではないか)ためしに話してごらん」
顔回は答えた。
「(権力者と向かいあっても)毅然として自己の端正な態度を失わず、心を虚(むな)しうして名と実に心みだされず、懸命に努力して純一無雑な境地に徹するよう心がけたならば、どうでしょうか?」
「ああ、そんなことでは到底だめだ! ─ 夫(そ)れ陽(うわべ)を以(つくろ)いて充(み)ちたる為(まね)し、孔(はなは)だ揚(とくいが)るも采色(かおいろ)定(おちつ)かざるは、常(よ)の人の違(こと)ならざるところなり[福永光司] ─ お前はまだ形にとらわれ、外にあるものばかり気にしている。お前は端正な態度で臨むというが、それは内面の貧弱さをごまかす以外の何ものでもない。内面の貧弱さをごまかして態度ばかりを有徳者らしくつくろったところで、当人こそ甚だ得意であろうが、その顔色にはどこか落ち着かぬところのあるものだ。こういう人間は本質的には俗物と何の変わりもない。こういう俗物が権力者の心の動きを推し測って、自己の主張をその心に受け入れさせようとしたところで、何の効果があろうか。これを ─「日に漸(すす)むの徳成らず」─ 長年月の蓄積を要するその日その日の僅かな徳さえも成就させることができないというのである。まして一時的な説得ぐらいで大いなる徳を成就させることなど思いもよらないであろう。
あの衛君は必ずや自己を固執してお前のいうことなどには教化されず、表面でこそ成る程と調子を合わせていても、内心では深く考えてもみないだろう。到底だめだね。そんなやり方では」
(終)
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