TOP(戻る)温故知新(戻る)、 世界三大古典詩集 ( 「詩經」「万(萬)葉集」「ソネット集 SONNET(Shakespeare)」

万葉集(萬葉集 Man'yōshū)は日本人の心の古典、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」
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萬葉集  巻第十五 春の雑歌
 (とをまりいつまきにあたるまき はるのくさぐさのうた) 

(貴新羅使人の歌 中臣宅守・挟野第上娘子の相聞贈答歌)   鹿持雅澄『萬葉集古義』  


天平(てむひやう)八年(やとせといふとし)丙子(ひのえね)夏六月(みなつき)新羅(しらき)の国に遣ひ使はさるる時、使人(つかひ)等、(おのもおのも)別れを悲しみ贈り答へ、また海路(うみつぢ)にて(こころ)(かなし)み思ひを()べてよめる歌、また所につきて誦詠(うた)へる古き歌、一百四十五首(ももちまりよそいつつ)*

3578 武庫(むこ)の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし

3579 大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを

3580 君が行く海辺の宿に霧立たば()が立ち嘆く息と知りませ

3581 秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ

3582 大船を荒海(あるみ)に出だしいます君(つつ)むことなく早帰りませ

3583 (さき)くと*妹が(いは)はば沖つ波千重に立つとも(さは)りあらめやも

3584 別れなばうら悲しけむ()が衣下にを着ませ(ただ)に逢ふまてに

3585 我妹子(わぎもこ)下にを着よと*贈りたる衣の紐を(あれ)解かめやも

3586 我がゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ

3587 栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ

3588 はろばろに思ほゆるかも然れども()しき心を()()はなくに

右の十一首(とをまりひとつ)は、贈答(おくりこたへのうた)

3589 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ()が来る妹が目を欲り

右の一首(ひとうた)は、秦間滿(はたのはしまろ)

3590 妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてそ()が来る

右の一首は、(ひそ)かに私家(いへ)に還りて思ひを()ぶ。

3591 妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにそありける

3592 海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに

3593 大伴の御津に(ふな)乗り榜ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我

右の三首(みうた)は、発たむとする時よめる歌。

3594 潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり

3595 朝開き榜ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に(たづ)が声すも

3596 我妹子が形見に見むを印南都麻(いなみづま)白波高みよそにかも見む

3597 わたつみの沖つ白波立ち来らし海人処女(あまをとめ)ども島隠る見ゆ

3598 ぬば玉の夜は明けぬらし玉の浦にあさりする(たづ)鳴き渡るなり

3599 月読(つくよみ)の光を清み神島の磯廻(いそま)の浦ゆ船出す我は

3600 離れ()に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも

3601 しましくも独りあり得るものにあれや島のむろの木離れてあるらむ

右の八首(やうた)は、船乗りして海つ路に(いづ)る時よめる歌。


所につきて誦詠(うた)へる古き歌

3602 青丹よし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも

右の一首は、雲を詠める。

3603 青柳の枝伐り下ろし斎種(ゆたね)蒔き忌々(ゆゆ)しく君に恋ひ渡るかも

3604 妹が(そて)別れて久になりぬれど一日も妹を忘れて思へや

3605 わたつみの海に出でたる飾磨川(しかまがは)絶えむ日にこそ()が恋やまめ

右の三首は、恋の歌。

3606 玉藻刈る処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島(ぬしま)が崎に廬りす我は

柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、敏馬を過ぎて。又曰ク、船近づきぬ。

3607 白妙の藤江の浦に(いざ)りする海人とや見らむ旅ゆく我を

柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、荒栲の。又曰ク、(すずき)釣る海人とか見らむ。

3608 天離(あまざか)(ひな)の長道を恋ひ来れば明石の()より家のあたり見ゆ

柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、やまと島見ゆ。

3609 武庫の海の庭よくあらしいざりする海人の釣船波のうへゆ見ゆ

柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、けひの海の。又曰ク、刈薦(かりこも)の乱れて出づ見ゆ海人の釣船。

3610 安胡(あご)の浦に船乗りすらむ処女らが赤裳の裾に潮満つらむか

柿本朝臣人麿ガ歌ニ曰ク、あみの浦。又曰ク、玉裳の裾に。


〔七夕歌一首〕*

3611 大船に真楫しじ()海原(うなはら)を榜ぎ出て渡る月人壮士(つきひとをとこ)

右、柿本朝臣人麿の歌。


備後国(きびのみちのしりのくに)水調郡(みつきのこほり)長井の浦に船泊てし夜、よめる歌三首

3612 青丹よし奈良の都に行く人もがも草枕旅ゆく船の泊り告げむに 旋頭歌なり。

右の一首は、大判官(おほきまつりごとひと)

3613 海原を八十(やそ)島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも

3614 帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉(ひり)ひて行かな


安藝国(あぎのくに)風速(かざはや)の浦に(ふね)泊てし夜、よめる歌二首

3615 我がゆゑに妹歎くらし風速の浦の沖辺に霧たなびけり

3616 沖つ風いたく吹きせば我妹子が歎きの霧に飽かましものを


長門の島の磯辺に舶泊ててよめる歌五首

3617 石走(いはばし)(たぎ)もとどろに鳴く(せび)の声をし聞けば都し思ほゆ

右の一首は、大石蓑麿(おほいそのにのまろ)

3618 山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも

3619 磯の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて

3620 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも

3621 我が命を長門の島の小松原幾代を経てか(かむ)さびわたる


長門の浦より舶出(ふなで)せし夜、月光(つき)仰観()てよめる歌三首

3622 月読の光を清み夕凪に水手(かこ)の声呼び浦廻(うらみ)榜ぐかも

3623 山の端に月かたぶけば(いざ)りする海人の燈し火沖になづさふ

3624 我のみや夜船は榜ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり


古き挽歌(かなしみうた)一首、また短歌(みじかうた)

3625 夕されば 葦辺に騒き 明け来れば 沖になづさふ
   鴨すらも 妻とたぐひて 我が尾には 霜な降りそと
   白妙の 羽さし交へて 打ち掃ひ さ()とふものを
   行く水の 帰らぬごとく 吹く風の 見えぬがごとく
   跡も無き 世の人にして 別れにし 妹が着せてし
   馴れ衣 袖片敷きて 独りかも寝む

(かへ)し歌一首

3626 (たづ)が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづし独りさ()れば

右、丹比大夫(たぢひのまへつきみ)(みまか)れる()悽愴(かなし)める歌。


物に()きて思ひを()ぶる歌一首、また短歌

3627 朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに
   大船に 真楫しじ貫き 韓国(からくに)に 渡り行かむと
   直向ふ 敏馬(みぬめ)をさして 潮待ちて 水脈(みを)びき行けば
   沖辺には 白波高み 浦廻より 榜ぎて渡れば
   我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ
   さ夜更けて ゆくへを知らに ()が心 明石の浦に
   船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば
   いざりする 海人の処女は 小船(をぶね)乗り つららに浮けり
   (あかとき)の 潮満ち来れば 葦辺には (たづ)鳴き渡る
   朝凪に 船出をせむと 船人も 水手(かこ)も声呼び
   にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ
   ()()へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて
   大船を 榜ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ
   よそのみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて
   浜びより 浦磯を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ
   わたつみの 手纏(たまき)の玉を 家(つと)に 妹に遣らむと
   (ひり)ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ
   持てれども (しるし)を無みと また置きつるかも

反し歌二首

3628 玉の浦の沖つ白玉ひりへれどまたそ置きつる見る人を無み

3629 秋さらば我が船泊てむ忘れ貝寄せ来て置けれ沖つ白波


周防国(すはうのくに)玖河郡(くがのこほり)麻里布(まりふ)の浦に行く時、よめる歌八首(やつ)

3630 真楫貫き船し行かずば見れど飽かぬ麻里布の浦に宿りせましを

3631 いつしかも見むと思ひし粟島をよそにや恋ひむ行くよしを無み

3632 大船にかし振り立てて浜(ぎよ)き麻里布の浦に宿りかせまし

3633 粟島の逢はじと思ふ妹にあれや安眠(やすい)も寝ずて()が恋ひ渡る

3634 筑紫道の可太(かだ)の大島しましくも見ねば恋しき妹を置きて来ぬ

3635 妹が家路近くありせば見れど飽かぬ麻里布の浦を見せましものを

3636 家人は帰り早()伊波比島(いはひしま)斎ひ待つらむ旅ゆく我を

3637 草枕旅ゆく人を伊波比島幾代経るまて斎ひ来にけむ


大島の鳴門を過ぎて再宿(ふたよ)経し後、追ひてよめる歌二首

3638 これやこの名に負ふ鳴門の渦潮に玉藻刈るとふ海人処女(あまをとめ)ども

右の一首は、田邊秋庭(たのべのあきには)

3639 波の上に浮き寝せし宵あど()へか心悲しく(いめ)に見えつる


熊毛の浦に船泊てし夜、よめる歌四首

3640 都辺に行かむ船もが刈薦の乱れて思ふこと告げやらむ

右の一首は、羽栗(はくり)

3641 暁の家恋しきに浦廻より楫の音するは海人処女かも

3642 沖辺より潮満ち来らし(から)の浦にあさりする(たづ)鳴きて騒きぬ

3643 沖辺より船人のぼる呼び寄せていざ告げやらむ旅の宿りを

一ニ云ク、旅の宿りをいざ告げやらな。


佐婆(さば)の海にて、忽ち逆風(あらきかぜ)漲浪(たかきなみ)に遭ひて、漂流(ただよひ)宿(ひとよ)経て、のち順風(おひて)を得、豊前国(とよくにのみちのくち)下毛郡(しもつみけのこほり)分間(わくま)の浦に到着()きぬ。ここに艱難(いたづき)を追ひ(いた)みて、よめる歌八首

3644 おほきみの(みこと)(かしこ)み大船の行きのまにまに宿りするかも

右の一首は、雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)

3645 我妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家附かずして

3646 浦廻より榜ぎ来し船を風速み沖つ御浦に宿りするかも

3647 我妹子がいかに思へかぬば玉の一夜もおちず夢にし見ゆる

3648 海原の沖辺に灯し(いざ)る火は明かして灯せ大和島見む

3649 鴨じもの浮寝をすれば(みな)(わた)か黒き髪に露そ置きにける

3650 久かたの天照る月は見つれども()()ふ妹に逢はぬ頃かも

3651 ぬば玉の夜渡る月は早も出でぬかも海原の八十島の上ゆ妹があたり見む 旋頭歌なり。


筑紫の(たち)に至り、本つ(くに)のかたを遥望(みさ)け、悽愴(かなし)みてよめる歌四首

3652 志賀(しか)の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも(あれ)はするかも

3653 志賀の浦に(いざ)りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚

3654 可之布江(かしふえ)(たづ)鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも

一ニ云ク、満ちし来ぬらし。

3655 今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ


七夕(なぬかのよ)天漢(あまのがは)仰観(みさ)け、(おのもおのも)思ひを陳べてよめる歌三首

3656 秋萩ににほへる我が裳濡れぬとも君が御船の綱し取りてば

右の一首は、大使(つかひのかみ)

3657 年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我にまさりて思ふらめやも

3658 夕月夜影立ち寄り合ひ天の川榜ぐ船人を見るが(とも)しさ


海辺にて月を()てよめる歌九首

3659 秋風は日に()に吹きぬ我妹子はいつかと我を*斎ひ待つらむ

大使の第二男(おとむすこ)

3660 神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋ひ渡りなむ

右の一首は、土師稲足(はにしのいなたり)

3661 風の(むた)寄せ来る波にいざりする海人処女らが裳の裾濡れぬ

一ニ云ク、海人のをとめが裳の裾濡れぬ。

3662 天の原振り放け見れば夜そ更けにけるよしゑやし独り()る夜は明けば明けぬとも

右ノ一首ハ、旋頭歌ナリ。

3663 わたつみの沖つ縄海苔来る時と妹が待つらむ月は経につつ

3664 志賀の浦にいざりする海人明け来れば浦廻榜ぐらし楫の音聞こゆ

3665 妹を思ひ()の寝らえぬに(あかとき)の朝霧ごもり雁がねそ鳴く

3666 夕されば秋風寒し我妹子が解き洗ひ(ごろも)行きて早着む

3667 我が旅は久しくあらしこの()()る妹が衣の垢づく見れば


筑前国(つくしのみちのくちのくに)志麻郡の韓亭(からとまり)(ふね)泊てて三日(みか)経ぬ。時に夜月(つき)の光、皎々流照(てりわたれり)(たちま)ち此の(けはひ)()りて、旅の(こころ)悽噎(かなし)み、(おのもおのも)心緒(おもひ)()べてよめる歌六首(むつ)

3668 おほきみの遠の朝廷(みかど)と思へれど()長くしあれば恋ひにけるかも

右の一首は、大使(つかひのかみ)

3669 旅にあれど夜は火灯し居る我を闇にや妹が恋ひつつあるらむ

右の一首は、大判官(おほきまつりごとひと)

3670 からとまり能古(のこ)の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし

3671 ぬば玉の夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて()ましを

3672 久かたの月は照りたり(いとま)なく海人の漁火(いざり)は灯し合へり見ゆ

3673 風吹けば沖つ白波かしこみと能古の泊にあまた夜そ()


引津(ひきづ)(とまり)に舶泊てし時よめる歌七首*

3674 草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也(かや)の山辺にさ牡鹿鳴くも

3675 沖つ波高く立つ日に遭へりきと都の人は聞きてけむかも

右の二首は、大判官。

3676 天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都にこと告げやらむ

3677 秋の野をにほはす萩は咲けれども見る(しるし)なし旅にしあれば

3678 妹を思ひ()の寝らえぬに秋の野にさ牡鹿鳴きつ妻思ひかねて

3679 大船に真楫しじ貫き時待つと我は思へど月そ経にける

3680 夜を長み()の寝らえぬにあしひきの山彦とよめさ牡鹿鳴くも


肥前国(ひのみちのくちのくに)松浦郡(まつらのこほり)狛島の(とまり)に舶泊てし夜、海浪(うなはら)遥望(みさ)け、(おのもおのも)旅の心を(かなし)みてよめる歌七首

3681 帰り来て見むと思ひし我が屋戸の秋萩すすき散りにけむかも

右の一首は、秦田滿(はたのたまろ)

3682 天地の神を乞ひつつ(あれ)待たむ早来ませ君待たば苦しも

右の一首は、娘子(をとめ)

3683 君を思ひ()が恋ひまくはあら玉の立つ月ごとに()くる日もあらじ

3684 秋の夜を長みにかあらむなそここば()の寝らえぬも独り()ればか

3685 たらし姫御船泊てけむ松浦の海妹が待つべき月は経につつ

3686 旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹し思ひ(がな)しも

3687 あしひきの山飛び越ゆる雁がねは都に行かば妹に逢ひて()


壹岐(ゆき)の島に到りて、雪連宅滿(ゆきのむらじやかまろ)が、忽ち鬼病(えやみ)にて死去(みまか)れる時よめる歌〔一首、また短歌〕*

3688 すめろきの 遠の朝廷と から国に 渡る我が背は
   家人の (いは)ひ待たねか ただ身かも 過ちしけむ
   秋さらば 帰りまさむと たらちねの 母に申して
   時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと
   家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず
   大和をも 遠く(さか)りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君

反し歌二首

3689 石田野(いはたぬ)に宿りする君家人のいづらと我を問はばいかに言はむ

3690 世の中は常かくのみと別れぬる君にやもとな()が恋ひゆかむ

右三首は、姓名がよめる挽歌(かなしみうた)*

3691 天地と 共にもがもと 思ひつつ ありけむものを
   ()しけやし 家を離れて 波のうへゆ なづさひ来にて
   あら玉の 月日も来経ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば
   たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち
   夕霧に 衣手濡れて (さき)くしも あるらむごとく
   出で見つつ 待つらむものを 世の中の 人の嘆きは
   相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の
   初尾花 仮廬(かりほ)に葺きて 雲(ばな)れ 遠き国辺の
   露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ

反し歌二首

3692 ()しけやし妻も子供も高々(たかたか)に待つらむ君や島(がく)れぬる

3693 もみち葉の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも

右の三首は、葛井連子老(ふぢゐのむらじこおゆ)がよめる挽歌。

3694 わたつみの (かしこ)き道を 安けくも なく悩み来て
   今だにも ()なく行かむと 壱岐(ゆき)の海人の ()つ手の(うら)へを
   肩焼きて 行かむとするに (いめ)のごと 道の空路に 別れする君

反し歌二首

3695 昔より言ひけることの韓国のからくもここに別れするかも

3696 新羅(しらき)へか家にか帰る壱岐の島行かむたどきも思ひかねつも

右の三首は、六鯖(むさば)がよめる挽歌。


對馬島(つしま)の淺茅の浦に舶泊てし時、順風(おひて)を得ず、(とど)まりて五箇日(いつか)を経き。ここに物華を瞻望(みや)りて、(おのもおのも)慟心(おもひ)を陳べてよめる歌三首

3697 百船の泊つる對馬の淺茅山しぐれの雨にもみたひにけり

3698 天ざかる夷にも月は照れれども妹そ遠くは別れ来にける

3699 秋されば置く露霜に()へずして都の山は色づきぬらむ


竹敷(たかしき)の浦に舶泊てし時、各心緒(おもひ)を陳べてよめる歌十八首(とをまりやつ)

3700 あしひきの山下光るもみち葉の散りのまがひは今日にもあるかも

右の一首は、大使。

3701 竹敷の黄葉(もみち)を見れば我妹子が待たむと言ひし時そ来にける

右の一首は、副使(つかひのすけ)

3702 竹敷の浦廻の黄葉われ行きて帰り来るまて散りこすなゆめ

右の一首は、大判官(おほきまつりごとひと)

3703 竹敷の上方山(うへかたやま)は紅の八しほの色になりにけるかも

右の一首は、小判官(すなきまつりごとひと)

3704 もみち葉の散らふ山辺ゆ榜ぐ船のにほひに愛でて出でて来にけり

3705 竹敷の玉藻靡かし榜ぎ出なむ君が御舟をいつとか待たむ

右の二首は、對馬娘子、名は玉槻(たまつき)

3706 玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我行く帰るさに見む

右の一首は、大使。

3707 秋山の黄葉を挿頭(かざ)し我が居れば浦潮満ち()いまだ飽かなくに

右の一首は、副使。

3708 物()ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月そ経にける

右の一首は、大使。

3709 家づとに貝を(ひり)ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ

3710 潮干なばまたも我来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち()

3711 我が袖は手本とほりて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ

3712 ぬば玉の妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ

3713 もみち葉は今はうつろふ我妹子が待たむと言ひし時の経ゆけば

3714 秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも

3715 独りのみ着()る衣の紐解かば誰かも結はむ家(どほ)くして

3716 天雲のたゆたひ来れば九月(ながつき)の黄葉の山もうつろひにけり

3717 旅にても()なく早()と我妹子が結びし紐は()れにけるかも


筑紫の海つ路に(かへ)り来て、(みやこ)(まゐ)らむと播磨国家島に到れる時よめる歌五首

3718 家島は名にこそありけれ海原を()が恋ひ来つる妹もあらなくに

3719 草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の経ぬらく

3720 我妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家附くらしも

3721 ぬば玉の夜明かしも船は榜ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ

3722 大伴の御津の泊に船泊てて龍田の山をいつか越えいかむ



中臣朝臣宅守(やかもり)蔵部(くらべ)()()ひて、狹野茅上娘子(さぬのちかみをとめ)(よば)へる時、(みことのり)して流す罪に(さだ)めて、越前国(こしのみちのくちのくに)(はな)ちたまへり。ここに夫婦(めを)別れ易く会ひ難きを嘆き、(おのもおのも)(かな)しみの情を陳べて、贈り答ふる歌、六十三首(むそちまりみつ)*

3723 あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし

3724 君が行く道の長手を繰り畳み*焼き滅ぼさむ(あめ)の火もがも

3725 我が背子しけだし(まか)らば白妙の袖を振らさね見つつ偲はむ

3726 この頃は恋ひつつもあらむ玉くしげ明けて(をち)よりすべなかるべし

右の四首は、別れむとして娘子(をとめ)が悲しみよめる歌。*

3727 塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ我ゆゑに思ひ侘ぶらむ妹が悲しさ

3728 青丹よし奈良の大道は行き良けどこの山道は行き悪しかりけり

3729 (うるは)しと()()ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ

3730 畏みと()らずありしを御越道(みこしぢ)(たむけ)に立ちて妹が名のりつ

右の四首は、中臣朝臣宅守が上道(みちだち)してよめる歌。

3731 思ふゑに逢ふものならばしましくも妹が目()れて(あれ)居らめやも

3732 あかねさす昼は物()ひぬば玉の夜はすがらに音のみし泣かゆ

3733 我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし

3734 遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしの無きが(さぶ)しさ 一ニ云ク、さびしさ

3735 思はずもまことあり得むやさ()る夜の夢にも妹が見えざらなくに

3736 遠くあれば一日一夜も思はずてあるらむものと思ほしめすな

3737 人よりは妹そも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ

3738 思ひつつ()ればかもとなぬば玉の一夜もおちず夢にし見ゆる

3739 かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずそあるべくありける

3740 天地の神なきものにあらばこそ()()ふ妹に逢はず死にせめ

3741 命をし(また)くしあらば珠衣(ありきぬ)のありて後にも逢はざらめやも 一ニ云ク、ありての後も

3742 逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まて(あれ)恋ひ居らむ

3743 旅といへば言にそ易き少なくも妹に恋ひつつすべ無けなくに

3744 我妹子に恋ふるに(あれ)は玉きはる短き命も惜しけくもなし

右の十四首(とをまりようた)は、配所(はなたえしところ)に至りて中臣朝臣宅守がよめる歌。*

3745 命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはたな思ひそ命だに経ば

3746 人の植うる田は植ゑまさず今更に国別れして(あれ)はいかにせむ

3747 我が屋戸の松の葉見つつ(あれ)待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに

3748 他国(ひとくに)は住み悪しとそ言ふ(すむや)けく早帰りませ恋ひ死なぬとに

3749 他国に君をいませていつまてか()が恋ひをらむ時の知らなく

3750 天地の(そこひ)(うら)()がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ

3751 白妙の()が下衣失はず持てれ我が背子ただに逢ふまてに

3752 春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつ(うつ)しけめやも

3753 逢はむ日の形見にせよと手弱女の思ひ乱れて縫へる衣そ

右の九首(ここのうた)は、娘子が(みやこ)に留まり、悲傷(かなし)みてよめる歌。*

3754 過所(ふた)なしに関飛び越ゆる霍公鳥(ほととぎす)我が身にもがも*止まず通はむ

3755 (うるは)しと()()ふ妹を山川を中にへなりて安けくもなし

3756 向ひ居て一日もおちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまて

3757 ()が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを

3758 刺竹(さすだけ)の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ 一ニ云ク、今さへや

3759 たちかへり泣けども(あれ)は験なみ思ひ侘ぶれて()る夜しそ多き

3760 さ()る夜は多くあれども物()はず安く()る夜はさねなきものを

3761 世の中の常のことわりかく様に成り来にけらし据ゑし種から

3762 我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし

3763 旅と言へば言にそ易きすべも無く苦しき旅も()らにまさめやも

3764 山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹(わぎも)

3765 真澄鏡懸けて偲へと(まつ)り出す形見のものを人に示すな

3766 うるはしと思ひし思はば下紐に結ひ付け持ちてやまず偲はせ

右の十三首(とをまりみうた)は、配所より中臣朝臣宅守が贈れる歌。*

3767 魂は朝夕(あしたゆふへ)(たま)振れど()が胸痛し恋の繁きに

3768 この頃は君を思ふとすべも無き恋のみしつつ音のみしそ泣く

3769 ぬば玉の夜見し君を明くる(あした)逢はずまにして今そ悔しき

3770 味真野(あぢまぬ)に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ

3771 家人(いへびと)*安眠(やすい)も寝ずて今日今日と待つらむものを見えぬ君かも

3772 帰りける人来たれりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて

3773 君が(むた)行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし

3774 我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな

右の八首は、娘子が和贈(こた)ふる歌。*

3775 あら玉の年の緒長く逢はざれど()しき心を()()はなくに

3776 今日もかも都なりせば見まく欲り西の御厩(みまや)()に立てらまし

右の二首は、中臣朝臣宅守がまた贈れる歌。*

3777 昨日けふ君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしそ泣く

3778 白妙の()が衣手を取り持ちて(いは)へ我が背子直に逢ふまてに

右の二首は、娘子が和贈(こた)ふる歌。*

3779 我が屋戸の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに

3780 恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物()ふ時に来鳴き(とよ)むる

3781 旅にして物()ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ()が恋まさる

3782 雨ごもり物()ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響もす

3783 旅にして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る

3784 心なき鳥にそありける霍公鳥物()ふ時に鳴くべきものか

3785 霍公鳥(あひだ)しまし置け()が鳴けば()()ふ心いたもすべなし

右の七首は、中臣朝臣宅守が花鳥(はなとり)に寄せて思ひを陳べてよめる歌。



         巻第十五 了

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引用文献


○ManyoshuBest100 ○万葉集[YouTube] ○萬葉集朗詠ライブ ○歴史ヒストリア ○万葉歌と明石 、、 ○100分de名著 万葉集 其の1 ○ 其の2 、、 万葉集読み上げ 巻1 ( 1 -27) 万葉集読み上げ 巻1 (28-49) 万葉集読み上げ 巻1 (50-84)


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