TOP(戻る)温故知新(戻る)、 世界三大古典詩集 ( 「詩經」「万(萬)葉集」「ソネット集 SONNET(Shakespeare)」

万葉集(萬葉集 Man'yōshū)は日本人の心の古典、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」
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萬葉集  巻第十七 
  (とをまりななまきにあたるまき) 

(巻二十まで、大伴家持の歌日誌、この巻は越中赴任前後が中心)  鹿持雅澄『萬葉集古義』   


天平(てむひやう)二年(ふたとせといふとし)庚午(かのえうま)冬十一月(しもつき)太宰帥(おほみこともちのかみ)大伴の(まへつきみ)の、大納言(おほきものまをすつかさ)()さされ帥を兼ねたまふこと旧の如し(みやこ)に上りたまふ時、陪従人(ともひと)ら、海路(うみつぢ)に別れて京に(むか)へり。是に羇旅(たび)悲傷(かなし)み、(おのもおのも)所心(おもひ)を陳べてよめる歌十首(とを)

3890 我が背子を()が松原よ見渡せば海人娘子(あまをとめ)ども玉藻刈る見ゆ

右の一首(ひとうた)は、三野連石守(みぬのむらじいそもり)がよめる。

3891 荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か()が恋ひざらむ

3892 磯ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ磯の知らなく

3893 昨日こそ船出はせしか鯨魚(いさな)取り比治奇(ひぢき)の灘を今日見つるかも

3894 淡路島()渡る船の楫間にも(あれ)は忘れず家をしそ思ふ

3895 玉はやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしそ思ふ

3896 家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居れば奥処(おくか)知らずも

3897 大海の奥処も知らず行く我をいつ来まさむと問ひし子らはも

3898 大船の上にし()れば天雲のたどきも知らずうたがた我が背

3899 海人娘子(いざ)り焚く火の(おほほ)しく(つぬ)の松原思ほゆるかも

右の九首(ここのうた)は、作者(よみびと)不審姓名(しらず)


十年(ととせといふとし)七月(ふみつき)七日(なぬか)の夜、独り天漢(あまのがは)()(おも)ひを述ぶる歌一首

3900 織女(たなばた)(ふな)乗りすらし真澄鏡(まそかがみ)清き月夜(つくよ)に雲立ち渡る

右の一首(ひとうた)は、大伴宿禰家持がよめる。


十二年(ととせまりふたとせといふとし)十一月(しもつき)九日(ここのかのひ)太宰(おほみこともち)の時の梅の花の歌を追ひて()める新歌(にひうた)六首

3901 御冬過ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば折る人もなし

3902 梅の花み山と(しみ)にありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ

3903 春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも

3904 梅の花いつは折らじと厭はねど咲きの盛りは惜しきものなり

3905 遊ぶ日の(たぬ)しき庭に梅柳折り挿頭(かざ)してば思ひ無みかも

3906 御苑生(みそのふ)の百木の梅の散る花の(あめ)に飛び上がり雪と降りけむ

右、大伴宿禰家持*がよめる。


十二年(ととせまりみとせといふとし)二月(きさらぎ)三香原(みかのはら)新都(にひみやこ)を讃むる歌一首、また短歌(みじかうた)

3907 山背(やましろ)の 久迩(くに)の都は 春されば 花咲き(をを)
   秋されば 黄葉(もみちば)にほひ 帯ばせる 泉の川の
   上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し
   あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに

反し歌

3908 楯並(たたな)めて泉の川の水脈(みを)絶えず仕へまつらむ大宮所

右、右馬頭(みぎのうまのつかさのかみ)境部宿禰老麿(さかひべのすくねおゆまろ)がよめる。


四月(うつき)二日(ふつかのひ)霍公鳥(ほととぎす)を詠める歌二首

3909 橘は常花(とこはな)にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ

3910 玉に()(あふち)を家に植ゑたらば山霍公鳥()れず来むかも

右、大伴宿禰書持が奈良の(いへ)より兄家持に贈る。


四月の三日(みかのひ)、和ふる歌三首

橙橘(たちばな)初めて咲き、霍公鳥()(かへ)る。此の時候(とき)(あた)りて、なぞも志を()べざらむ。(かれ)三首(みつ)の短歌をよみて、欝結(おほほ)しき(おもひ)()るにこそ

3911 足引(あしひき)山辺(やまへ)()れば霍公鳥木の間立ち()き鳴かぬ日はなし

3912 霍公鳥何の心そ橘の玉貫く月し来鳴き(とよ)むる

3913 霍公鳥楝の枝にゆきて()ば花は散らむな玉と見るまで

右、内舎人(うちとねり)大伴宿禰家持が久迩の京より(おと)書持に報送(こた)ふ。


霍公鳥を(しの)ふ歌一首 田口朝臣馬長(たぐちのあそみうまをさ)がよめる

3914 霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも

右ハ伝ヘテ云ク、一時交遊集宴セリ。此ノ日此処ニ霍公鳥喧カズ。仍チ件ノ歌ヲ作ミテ、思慕ノ意ヲ陳ベリト。但其ノ宴ノ所ト年月ハ、詳審ラカニスルコトヲ得ズ。


山部宿禰赤人春鴬(うぐひす)を詠める歌一首

3915 足引の山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声

右ハ年月所処、詳審カニスルコトヲ得ズ。但聞キシ時ノ随ニ茲ニ記載ス。


十六年(ととせまりむとせといふとし)四月の五日(いつかのひ)、独り平城(なら)故宅(ふるへ)に居りてよめる歌六首

3916 橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ

3917 霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ

3918 橘のにほへる苑に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを

3919 青丹よし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに

3920 鶉鳴き古しと人は思へれど花橘のにほふこの屋戸

3921 かきつはた衣に摺り付け大夫(ますらを)着装(きそ)ひ猟する月は来にけり

右、大伴宿禰家持がよめる。


十八年(ととせまりやとせといふとし)正月(むつき)白雪(ゆき)多く零り(つち)に積むこと数寸(ふかし)。時に左大臣(ひだりのおほまへつきみ)橘の(まへつきみ)中納言(なかのものまをすつかさ)藤原豊成朝臣と諸王(おほきみたち)諸臣(おみたち)とを()て、太上天皇(おほきすめらみこと)御在所(みあらか)中宮西院参入(まゐ)りて、(つか)(まつ)りて雪を(はら)ふ。是に(みことのり)して大臣(おほまへつきみ)参議(おほまつりごとひと)また諸王をば大殿の()(さもら)はしめ、諸卿大夫(まへつきみたち)をば南の細殿に侍はしめて、(おほみき)賜ひて肆宴(とよのあかり)す。(みことのり)したまはく、(いまし)諸王卿等(おほきみたち、まへつきみたち)、此の雪を()みて、(おのもおのも)其の歌を(まを)せとのりたまへり。

左大臣橘宿禰の詔を(うけたま)はる歌一首

3922 降る雪の白髪までに大皇(おほきみ)に仕へまつれば貴くもあるか

紀朝臣清人(きのあそみきよひと)が詔を応はる歌一首

3923 天の下すでに覆ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか

紀朝臣男梶(をかぢ)が詔を応はる歌一首

3924 山の(かひ)そことも見えず一昨日(をとつひ)も昨日も今日も雪の降れれば

葛井連諸會(ふぢゐのむらじもろあひ)が詔を応はる歌一首

3925 (あらた)しき年の初めに豊の年(しる)すとならし雪の降れるは

大伴宿禰家持が詔を応はる歌一首

3926 大宮の内にも()にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも

藤原豊成朝臣、巨勢奈弖麻呂朝臣大伴牛養宿禰藤原仲麻呂朝臣三原王智奴王船王邑知王小田王林王穂積朝臣老、小田朝臣諸人、小野朝臣綱手、高橋朝臣国足、太朝臣徳太理、高丘連河内、秦忌寸朝元、楢原造東人。右の(くだり)(おほきみ)(まへつきみ)たち、詔を応はりてよめる歌、(つぎて)(まにま)(まを)せりき。登時(すなはち)其の歌の漏失(もれ)しをば記さず。(ただ)秦忌寸朝元は、左大臣橘の卿の(たは)ぶれて(のたま)はく、歌を賦み()へずば、(かほりけだもの)以ちて(あがな)へとのりたまへり。此に因りて黙止(もだ)りき。


大伴宿禰家持、天平十八年閏七月(のちのふみつき)*越中国(こしのみちのなかのくに)(かみ)()けられ、即ち七月に任所(まけどころ)()く。時に(をば)大伴坂上郎女が家持に贈れる歌二首

3927 草枕旅ゆく君を(さき)くあれと斎瓮(いはひへ)据ゑつ()が床の()

3928 今のごと恋しく君が思ほえば如何にかも為むするすべの無さ

また越中国に贈る歌二首

3929 旅に()にし君しも継ぎて(いめ)に見ゆ()が片恋の繁ければかも

3930 道の中国つ御神は旅ゆきもし知らぬ君を恵みたまはな


平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)が越中守大伴宿禰家持に贈れる歌十二首(とをまりふたつ)

3931 君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも

3932 須磨ひとの海辺常去らず焼く塩の(から)き恋をも(あれ)はするかも

3933 ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ

3934 なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし

3935 隠沼(こもりぬ)の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく

3936 草枕旅にしばしばかくのみや君を遣りつつ()が恋ひ居らむ

3937 草枕旅()にし君が帰り来む月日を知らむすべの知らなく

3938 かくのみや()が恋ひ居らむぬば玉の夜の紐だに解き()けずして

3939 里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし(あれ)そ悔しき

3940 万代と心は解けて我が背子が()みしを見つつ忍びかねつも

3941 鴬の鳴くくら谷に打ち嵌めて焼けはしぬとも君をし待たむ

3942 松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ

右ノ件ノ十二首ノ歌ハ、時々ニ便使ニ寄セテ来贈ル。一度ニ送レルニハ在ラズ。


八月(はつき)七日(なぬか)の夜、守大伴宿禰家持が(たち)に集ひて宴する歌

3943 秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来る女郎花(をみなへし)かも

右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。

3944 女郎花咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出徘徊(たもとほ)り来ぬ

3945 秋の夜は(あかとき)寒し白布(しろたへ)の妹が衣袖(ころもて)着むよしもがも

3946 霍公鳥鳴きて過ぎにし岡()から秋風吹きぬよしもあらなくに

右の三首は、(まつりごとひと)大伴宿禰池主がよめる。

3947 今朝の朝明(あさけ)秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも

3948 天ざかる(ひな)に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに

右の二首は、守大伴宿禰家持がよめる。

3949 天ざかる夷にある我をうたがたも紐解き放けず思ほすらめや

右の一首は、掾大伴宿禰池主。

3950 家にして結ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも

右の一首は、守大伴宿禰家持がよめる。

3951 晩蝉(ひぐらし)の鳴きぬる時は女郎花咲きたる野辺を行きつつ見べし

右の一首は、大目(おほきふみひと)秦忌寸八千島(はたのいみきやちしま)

古歌(ふるうた)一首大原高安真人ノ作。年月審ラカナラズ。但聞キシ時ノ随ニ茲ニ記載ス。

3952 妹が家に伊久里(いくり)の杜の藤の花今来む春も常かくし見む

右の一首、伝へ()むは(ほうし)玄勝(げむしやう)なり。

3953 雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の()

3954 馬()めていざ打ち行かな澁谿(しぶたに)の清き磯廻(いそみ)に寄する波見に

右の二首は、守大伴宿禰家持。

3955 ぬば玉の夜は更けぬらし玉くしげ二上(ふたがみ)山に月かたぶきぬ

右の一首は、史生(ふみひと)土師宿禰道良(はにしのすくねみちよし)


大目秦忌寸八千島が館に宴する歌一首

3956 奈呉の海人の釣する船は今こそは船棚(ふなだな)打ちて(あべ)て榜ぎ出め

右、館ノ客屋ハ居ナガラニシテ蒼海ヲ望ム。仍テ主人八千島此歌ヲ作メリ。


長逝(みまか)れる(おと)悲傷(かなし)む歌一首、また短歌(みじかうた)

3957 天ざかる 夷治めにと 大王の (まけ)のまにまに
   出でて()し 我を送ると 青丹よし 奈良山過ぎて
   泉川 清き河原に 馬(とど)め 別れし時に
   好去(まさき)くて (あれ)還り来む 平らけく (いは)ひて待てと
   語らひて ()し日の極み 玉ほこの 道をた遠み
   山川の (へな)りてあれば 恋しけく ()長きものを
   見まく欲り 思ふ間に 玉づさの 使の()れば
   嬉しみと ()が待ち問ふに 妖言(およづれ)の 狂言(たはこと)とかも
   ()しきよし 汝弟(なおと)(みこと) 何しかも 時しはあらむを
   はたすすき 穂に()る秋の 萩の花 にほへる屋戸を言フハ、斯ノ人、為性(ヒトトナリ)花草花樹ヲ好愛(コノ)ミテ多ク寝院ノ庭ニ植ヱタリ。故レ花薫フ庭ト謂ヘリ。
   朝庭に 出で立ち(なら)し 夕庭に 踏み平らげず
   佐保の内の 里を往き過ぎ佐保山ニ火葬(ヤキハフリ)セリ。故レ佐保ノウチノサトヲユキスギト謂ヘリ。
   足引の 山の木末(こぬれ)に 白雲に 立ち棚引くと (あれ)に告げつる

3958 好去(まさき)くと言ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも

3959 かからむとかねて知りせば越の海の荒磯(ありそ)の波も見せましものを

右、天平十八年秋九月(ながつき)二十五日(はつかまりいつかのひ)、越中守大伴宿禰家持が遥かに弟の喪を聞き感傷(かなし)みてよめるなり。


()へるを歓ぶ歌二首

3960 庭に降る雪は千重敷くしかのみに思ひて君を()が待たなくに

3961 白波の寄する磯廻を榜ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君

右、天平十八年八月、掾大伴宿禰池主が大帳使に附きて、京師(みやこ)赴向(おもむ)き、同じ年の十一月(しもつき)、本の(つかさ)還到(かへ)れり。(かれ)宴して弾琴(ことふえ)飲楽(あそび)せり。時に白雪(ゆき)降りて、(つち)に積むこと尺余(ひとさかあまり)なり。(また)漁夫(あま)の船、入海に(なみ)に浮かぶ。爰に守大伴宿禰家持が二つのものを()て、聊か所心(おもひ)()ぶ。


十九年(ととせまりここのとせといふとし)春二月(きさらぎ)二十日(はつかのひ)、 忽ち病ひに沈み、(ほとほと)みうせなむとす。(かれ)歌詞(うた)をよみて、悲緒(かなしみ)()ぶる一首(ひとうた)、また短歌

3962 大王の (まけ)のまにまに 大夫(ますらを)の 心振り起こし
   足引の 山坂越えて 天ざかる 夷に下り来
   息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬに
   うつせみの 世の人なれば 打ち靡き 床に()い伏し
   痛けくし 日に()に増さる たらちねの 母の命の
   大船の ゆくらゆくらに 下恋に いつかも来むと
   待たすらむ 心(さぶ)しく ()しきよし 妻の命も
   明けくれば 門に寄り立ち 衣袖(ころもで)を 折り返しつつ
   夕されば 床打ち払ひ ぬば玉の 黒髪敷きて
   いつしかと 嘆かすらむそ (いも)()も 若き子どもは
   をちこちに 騒き泣くらむ 玉ほこの 道をた(どほ)
   間使(まつかひ)も 遺るよしも無し 思ほしき 言()て遣らず
   恋ふるにし 心は燃えぬ 玉きはる 命惜しけど
   為むすべの たどきを知らに かくしてや 荒夫(あらしを)すらに 嘆き伏せらむ

3963 世間(よのなか)は数なきものか春花の散りの(まが)ひに死ぬべき思へば

3964 山川の(そきへ)を遠み()しきよし妹を相見ずかくや嘆かむ

右、越中国の守の館にて、病に臥し悲傷みて、此の歌をよめり。


二十年(はたとせといふとし)*二月の二十九日(はつかまりここのかのひ)、守大伴宿禰家持が掾大伴宿禰池主に贈れる悲しみの歌二首

忽に病ひに沈み、累旬痛苦す。百神を祷ひ恃みて、且消損を得れども、由ほ身体(いた)(つか)れ、筋力怯軟(よは)くして、未だ謝を展るに堪へず。係恋弥よ深し。方今(いま)春の朝春の花、春の苑に流馥(にほ)ひ、春の暮春の鴬、春の林に()く。此の節候に(あた)りて、琴樽(もてあそ)びつべし。乗興の感有りと雖も、策杖の労に耐へず。独り帷幄の裏に臥して、聊か寸分の歌をよみて、(かろがろ)しく机下に奉り、玉頤を解かむことを犯す。其の詞に曰く、

3965 春の花今は盛りににほふらむ折りて挿頭(かざ)さむ手力(たぢから)もがも

3966 鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折り挿頭さむ

天平二十年二月二十九日、大伴宿禰家持。


三月(やよひ)の二日、(まつりごとひと)大伴宿禰池主が守大伴宿禰家持に報贈(こた)ふる歌二首

忽に芳音を(かたじけなく)す。翰苑雲を凌ぎ、兼て倭詩(うた)(たまは)る。詞林錦を舒べ、(うた)(なが)めて能く恋緒をのぞく。春の朝の和気、固より楽しむべく、春の暮の風景、最も(たぬし)むべし。紅桃灼々とし、戯蝶花を回りて舞ひ、翠柳依々として、嬌鴬葉に隠りて歌ふ。楽しきかも。淡交席を促して、意を得て言を忘る。楽しきかも、(うるは)しきかも。幽襟(いつく)しむに足れり。(あに)(はか)りきや、蘭蕙叢を隔て、琴樽(つか)はるること無けむと。空しく令節を過さば、物色人を(あなづ)らむ。怨むる所此に有り。然黙止することを能はず。俗語に云く、藤を以て錦に続ぐと云へり。聊か談咲に擬するのみ。

3967 山(かひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ

3968 鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも沽洗(やよひ)の二日、掾大伴宿禰池主。


三月の三日(みかのひ)、守大伴宿禰家持が更に贈れる歌一首、また短歌

含弘の徳、恩を蓬体に垂れ、不貲の思、陋心に報へ慰めしむ。来眷を載荷し、喩ふる所に堪ふること無し。但稚き時、遊藝の庭に渉らず、横翰の藻、自ら彫虫に乏し。幼年山柿の門に逕らず、裁歌の趣、詞を叢林に失ふ。爰に藤を以て錦に続ぐといふ言を(かたじけな)くす。更に石を将て瓊に同じくする詠を(しる)す。(まこと)に俗愚懐癖、黙止すること能はず。(かれ)数行を捧げて、式て嗤咲に酬ふ。其の詞に曰く、

3969 大王(おほきみ)の (まけ)のまにまに しなざかる 越を治めに
   出でて来し ますら我すら 世間(よのなか)の 常し無ければ
   打ち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば
   悲しけく ここに思ひ出 (いら)なけく そこに思ひ出
   嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを
   足引の 山来(へな)りて 玉ほこの 道の遠けば
   間使も 遣るよしも無み 思ほしき 言も通はず
   玉きはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに
   (こも)り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに
   春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折り挿頭さず
   春の野の 茂み飛び()く 鴬の 声だに聞かず
   娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の
   春雨に にほひ湿()づちて 通ふらむ 時の盛りを
   いたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を
   うるはしみ この夜すがらに ()も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつそ居る

3970 足引の山桜花一目だに君とし見てば(あれ)恋ひめやも

3971 山吹の茂み飛び漏く鴬の声を聞くらむ君は(とも)しも

3972 出で立たむ力を無みと(こも)り居て君に恋ふるに心神(こころど)もなし

三月(やよひ)三日(みかのひ)、大伴宿禰家持。


晩春(やよひ)の三日、遊覧する七言の(からうた)一首、また(はしかき)

上巳の名辰、暮春の麗景、桃花(まなぶた)を照して、紅を分つ。柳の色苔を含みて緑を競ふ。時に手を携へて曠く江河の畔を(みや)り、酒を訪ひて迥かに野客の家に過ぐ。既にして琴樽性を得、蘭契光を和らぐ。嗟乎、今日恨むる所は、徳星已に少きか。若し寂含の章を(たた)かずは、何を以てか逍遥の趣を()べむ。忽に短筆に課して、聊かに四韻を勒すなり。
 余春の媚日怜賞すべし
 上巳の風光覧遊するに足れり
 柳陌江に臨みてゲン服*(まだら)にし
 桃源海に通ひて仙舟を(うか)
 雲罍(うんらい)桂を酌みて三清湛へ
 羽爵人を(うなが)して九曲流る
 (ほしきまま)に酔ひ陶心彼我を忘れ
 酩酊処として淹しく留らざること無し

三月の四日(よかのひ)、大伴宿禰池主。


掾大伴宿禰池主が報贈(こた)ふる歌二首、また短歌

昨日短懐を述べ、今朝耳目を(けが)す。更に賜書を承り、且不次を奉る。死罪々々謹み(まを)す。下賎を(わす)れず、頻に徳音を恵む。英雲星気、逸調人に過ぎたり。智水仁山、既に琳瑯の光彩を(つつ)み、潘江陸海、自ら詩書の廊廟に坐す。思ひを非常に騁せ、情を有理に()け、七歩に章を成し、数篇紙に満つ。巧に愁人の重患を遣り、能く恋者の積思を除く。山柿の歌泉、此に比ぶるに()きが如し。彫龍の筆海、粲然として看ることを得。方に僕の幸有ることを知りぬ。敬みて和ふる歌、其の詞に云く、

3973 大王の 命畏み 足引の 山野(やまぬ)(さは)らず
   天ざかる 夷も治むる 大夫(ますらを)や なにか物()
   青丹よし 奈良道(ならぢ)来通ふ 玉づさの 使絶えめや
   (こも)り恋ひ 息づきわたり 下思(したもひ)に 嘆かふ我が背
   古ゆ 言ひ継ぎ来らく 世間(よのなか)は 数なきものそ
   慰むる こともあらむと 里人の (あれ)に告ぐらく
   山()には 桜花(さくらばな)散り 容鳥(かほとり)の 間なくしば鳴く
   春の野に すみれを摘むと 白布(しろたへ)の 袖折り返し
   紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて
   君待つと うら恋すなり 心ぐし いざ見にゆかな ことはたな知れ

3974 山吹は日に日に咲きぬうるはしと()()ふ君はしくしく思ほゆ

3975 我が背子に恋ひすべなかり葦垣(あしかき)(ほか)に嘆かふ(あれ)し悲しも

三月の五日、大伴宿禰池主。


守大伴宿禰家持が、また報贈(こた)ふる(からうた)一首、また短歌

昨暮使を(たまは)る。幸なるかも、晩春遊覧の詩を垂れ、今朝信を累ぬ。(かなじけな)きかも、相招望野の歌を賜はる。一たび玉藻を看て、稍欝結を写し、二たび秀句を吟ひて、已に愁緒をのぞく。此の眺翫にあらずは、(たれ)か能く心を暢べむ。但惟(ただ)(あれ)、禀性()り難く、闇神(みが)くこと靡し。翰を握れば毫を腐し、研に対へば渇を忘る。終日因流して、綴れども能はず。所謂(いはゆる)文章の天骨、習へども得ず。豈字を探り韻を勒して、雅篇に叶和するに堪へむ。抑々鄙里の少児に聞く、古の人言酬いざるは無しと。聊か拙詠を裁りて、敬みて解咲に擬す。如今(いま)言を賦し韻を勒し、斯の雅作の篇に同じくす。豈石を将て瓊に同じくし、声遊の走曲に唱ふるに殊ならむ。抑小児の濫謡に譬ふ。敬みて葉端に写し、式て乱に擬すに曰く、
  七言一首
 抄春の余日媚景麗し
 初巳の和風払ひて自ら軽し
 来燕泥を銜えて宇を賀きて入る
 帰鴻廬を引きて(はる)かに(おき)に赴く
 聞く君が嘯侶新たに曲を流すことを
 禊飲爵を催して河の清きに泛ぶ
 此の良宴を追尋せむと欲すれども
 還りて知りぬ染懊して脚のレイテイ*することを

短歌二首

3976 咲けりとも知らずしあらば(もだ)もあらむこの山吹を見せつつもとな

3977 葦垣の(ほか)にも君が寄り立たし恋ひけれこそは夢に見えけれ

三月の五日、大伴宿禰家持が病み()やりてよめる。


恋の(こころ)を述ぶる歌一首、また短歌

3978 妹も(あれ)も 心は(おや)じ たぐへれど いやなつかしく
   相見れば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし 目ぐしもなしに
   ()しけやし ()が奥妻 大王の 命畏み
   足引の 山越え野行き 天ざかる 夷治めにと
   別れ()し その日の極み あら玉の 年行き返り
   春花の うつろふまでに 相見ねば (いた)もすべ無み
   敷布(しきたへ)の 袖返しつつ 寝る夜おちず 夢には見れど
   うつつにし (ただ)にあらねば 恋しけく 千重に積もりぬ
   近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕
   差し交へて 寝ても()ましを 玉ほこの 道はし(どほ)
   関さへに (へな)りてあれこそ よしゑやし よしはあらむそ
   霍公鳥 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ
   卯の花の にほへる山を (よそ)のみも 振り放け見つつ
   近江路(あふみぢ)に い行き乗り立ち 青丹よし 奈良の吾家(わがへ)
   鵺鳥(ぬえとり)の うら()げしつつ 下恋に 思ひうらぶれ
   門に立ち 夕占(ゆふけ)問ひつつ ()を待つと ()すらむ妹を 逢ひて早見む

3979 あら玉の年返るまで相見ねば心も(しぬ)に思ほゆるかも

3980 ぬば玉の夢にはもとな相見れど直にあらねば恋ひやまずけり

3981 足引の山来(へな)りて遠けども心しゆけば夢に見えけり

3982 春花のうつろふまでに相見ねば月日()みつつ妹待つらむそ

右、三月の二十日(はつか)夜裏()、忽ち恋の(こころ)を起してよめる。大伴宿禰家持。


立夏四月(うつきたち)(はや)累日(ひかず)を経て、由ほ霍公鳥の(こゑ)を聞かず。因れ恨みてよめる歌二首

3983 足引の山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ

3984 玉に貫く花橘を(とも)しみしこの我が里に来鳴かずあるらし

霍公鳥は立夏(うつきたつ)日、必ず来鳴きぬ。又越中(こしのみちのなか)風土(くにざま)橙橘(たちばな)希なり。此に因りて大伴宿禰家持が懐を感発(かま)けて、此歌を()めり。三月二十九日。


二上(ふたがみ)山の(うた)一首 此山ハ射水郡ニ在リ

3985 射水川(いみづがは) い行き廻れる 玉くしげ 二上山は
   春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に
   出で立ちて 振り放け見れば 神柄(かむから)や そこば貴き
   山柄(やまから)や 見が欲しからむ すめ神の 裾廻(すそみ)の山の
   澁谿(しぶたに)の 崎の荒磯(ありそ)に 朝凪に 寄する白波
   夕凪に 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく
   (いにしへ)ゆ 今の現在(をつづ)に かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ

3986 澁谿の崎の荒磯に寄する波いやしくしくに古思ほゆ

3987 玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり

右、三月の三十日(つごもりのひ)(こと)()けてよめる。大伴宿禰家持。


四月の十六日(とをかまりむかのひ)夜裏()、遥かに霍公鳥の(こゑ)を聞きて(おもひ)を述ぶる歌一首

3988 ぬば玉の月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里(どほ)みかも

右、大伴宿禰家持がよめる。


大目(おほきふみひと)秦忌寸八千島の館にて、守大伴宿禰家持を(うまのはなむけ)する宴の歌二首

3989 奈呉(なご)の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば

3990 我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置き()かば惜し

右、守大伴宿禰家持が正税帳を以ちて京師(みやこ)(まゐ)らむとす。(かれ)此歌をよみて、相別(わかれ)の嘆を陳ぶ。四月二十日。


布勢水海(ふせのみづうみ)遊覧(あそ)べる(うた)一首、また短歌 此海ハ射水郡ノ舊江村ニ在リ

3991 物部(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)の 思ふどち 心遣らむと
   馬並めて 彼此触(うちくちぶり)の 白波の 荒磯に寄する
   澁谿の 崎(たもとほ)り 松田江(まつだえ)の 長浜過ぎて
   宇奈比(うなひ)川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き
   見つれども そこも飽かにと 布施の海に 舟浮け据ゑて
   沖へ榜ぎ 辺に榜ぎ見れば 渚には あぢ群騒き
   島廻(しまみ)には 木末(こぬれ)花咲き ここばくも 見のさやけきか
   玉くしげ 二上山に ()ふ蔦の 行きは別れず
   あり通ひ いや毎年(としのは)に 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと

3992 布勢の海の沖つ白波あり通ひいや毎年(としのは)に見つつ偲はむ

右、守大伴宿禰家持がよめる。四月廿四日。


布勢水海に遊覧びたまへる(うた)敬和(こたへまを)一首(うたひとつ)、また一絶(みじかうたひとつ)

3993 藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今そ盛りと
   足引の 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし(とよ)めば
   打ち靡く 心も(しぬ)に そこをしも うら恋しみと
   思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば
   射水川 水門(みなと)渚鳥(すどり) 朝凪に 潟に漁りし
   潮満てば (つま)呼び交す 羨しきに 見つつ過ぎ行き
   澁谿の 荒磯の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻
   片()りに (かづら)に作り 妹がため 手に巻き持ちて
   うらぐはし 布勢の水海に 海人船に 真楫(まかぢ)掻い()
   白布(しろたへ)の 袖振り返し (あども)ひて 我が榜ぎ行けば
   乎布(をふ)の崎 花散りまがひ 渚には 葦鴨(あしがも)騒き
   さざれ波 立ちても居ても 榜ぎ廻り 見れども飽かず
   秋さらば 黄葉(もみち)の時に 春さらば 花の盛りに
   かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや

3994 白波の寄せ来る玉藻世の間も継ぎて見に来む清き浜()

右、掾大伴宿禰池主がよめる。四月廿六日追和。


四月の二十六日(はつかまりむかのひ)、掾大伴宿禰池主が館にて、税帳使守大伴宿禰家持を(うまのはなむけ)する宴の歌、また古歌(ふるうた)四首

3995 玉ほこの道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも

右の一首は、大伴宿禰家持がよめる。

3996 我が背子が国へましなば霍公鳥鳴かむ五月(さつき)(さぶ)しけむかも

右の一首は、(すけ)内藏忌寸繩麿(うちのくらのいみきなはまろ)がよめる。

3997 (あれ)なしとな侘び我が背子霍公鳥鳴かむ五月は玉を()かさね

右の一首は、守大伴宿禰家持が(こた)ふ。
石川朝臣水通(みとほし)が橘の歌一首

3998 我が屋戸の花橘を花ごめに玉にそ()が貫く待たば苦しみ

右の一首、伝へ誦むは主人(あるじ)大伴宿禰池主なりき。


守大伴宿禰家持が館にて飲宴(さけのみするひ)の歌一首 四月二十六日

3999 都方(みやこへ)に立つ日近づく飽くまてに相見て行かな恋ふる日多けむ


立山(たちやま)(うた)一首、また短歌 此山ハ新河郡ニ在リ

4000 天ざかる 夷に名懸かす 越の中 国内(くぬち)ことごと
   山はしも (しじ)にあれども 川はしも (さは)にゆけども
   すめ神の (うしは)きいます 新川(にひかは)の その立山に
   (とこ)なつに 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の
   清き瀬に 朝宵ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや
   あり通ひ いや毎年(としのは)に (よそ)のみも 振り放け見つつ
   万代の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ
   音のみも 名のみも聞きて (とも)しぶるがね

4001 立山に降り置ける雪を常なつに見れども飽かず(かむ)ながら*ならし

4002 片貝の川の瀬清くゆく水の絶ゆることなくあり通ひ見む

四月の二十七日、大伴宿禰家持がよめる。


立山の賦に敬和(こたへまを)一首(うたひとつ)、また二絶(みじかうたふたつ)

4003 朝日さし 背向(そがひ)に見ゆる (かむ)ながら 御名に負はせる
   白雲の 千重を押し分け (あま)(そそ)り 高き立山
   冬夏と ()くこともなく 白布(しろたへ)に 雪は降り置きて
   古ゆ 在り来にければ 凝々(こご)しかも (いは)の神さび
   玉きはる 幾代経にけむ 立ちて居て 見れども(あや)
   峯(だか)み 谷を深みと 落ち(たぎ)つ 清き河内(かふち)
   朝()らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居たな引き
   雲居なす 心も(しぬ)に 立つ霧の 思ひ過ぐさず
   行く水の 音も(さや)けく 万代に 言ひ継ぎゆかむ 川し絶えずは

4004 立山に降り置ける雪の常なつに()ずてわたるは(かむ)ながらとそ

4005 落ち激つ片貝川の絶えぬごと今見る人も止まず通はむ

右、掾大伴宿禰池主が和ふ。四月廿八日。


(みやこ)(まゐ)らむこと(やや)近く、悲しみの(こころ)(はら)ひ難くて、(おもひ)を述ぶる歌一首、また一絶

4006 かき(かぞ)ふ 二上山に 神さびて 立てる(つが)の木
   (もと)()も (おや)常磐(ときは)に ()しきよし 我が背の君を
   朝()らず 逢ひて言問(ことど)ひ 夕されば 手携はりて
   射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば
   東風(あゆ)の風 (いた)くし吹けば 水門(みなと)には 白波高み
   (つま)呼ぶと 渚鳥(すどり)は騒く 葦刈ると 海人の小舟(をぶね)
   入江榜ぐ 楫の音高し そこをしも あやに(とも)しみ
   偲ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇(すめろき)の ()す国なれば
   御言持ち 立ち別れなば 後れたる 君はあれども
   玉ほこの 道ゆく我は 白雲の 棚引く山を
   岩根踏み 越え(へな)りなば 恋しけく ()の長けむそ
   そこ()へば 心し痛し 霍公鳥 声にあへ()
   玉にもが 手に巻き持ちて 朝宵に 見つつゆかむを 置きて()かば惜し

4007 我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きてゆかむ

右、大伴宿禰家持が掾大伴宿禰池主に贈る。四月卅日。


忽に入京述懐の作を見て、生きながら別るる悲しみ、腸を断つこと万回。怨緒(のぞ)き難し。聊か所心を(まを)一首(うたひとつ)、また二絶(みじかうたふたつ)

4008 青丹よし 奈良を来離れ 天ざかる (ひな)にはあれど
   我が背子を 見つつし()れば 思ひ遣る 事もありしを
   大王(おほきみ)の 命畏み 食す国の 事執り持ちて
   若草の 脚帯(あゆひ)手装(たづく)り 群鳥(むらとり)の 朝立ち去なば
   後れたる (あれ)や悲しき 旅にゆく 君かも恋ひむ
   思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留めもかねて
   見わたせば 卯の花山の 霍公鳥 音のみし泣かゆ
   朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はば忌々(ゆゆ)しみ
   礪波(となみ)山 手向(たむけ)の神に (ぬさ)まつり ()が乞ひ()まく
   ()しけやし 君が直香(ただか)を 真幸(まさき)くも 在り(たもとほ)
   月立たば 時も()はさず 撫子が 花の盛りに 相見しめとそ

4009 玉ほこの道の神たち(まひ)はせむ()が思ふ君をなつかしみせよ

4010 うら恋し我が背の君は撫子が花にもがもな朝旦(あさなさな)見む

右、大伴宿禰池主が報贈(こた)ふる和歌(うた)五月二日。


放逸(そら)せる鷹を(しぬ)ひ、(いめ)に見て感悦(よろこ)びよめる歌一首、また短歌

4011 大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)* 御雪降る 越と名に負へる
   天ざかる 夷にしあれば 山(だか)み 川透白(とほしろ)
   野を広み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛りと
   島つ鳥 鵜養(うかひ)が伴は 行く川の 清き瀬ごとに
   篝さし なづさひ上る 露霜の 秋に至れば
   野も(さは)に 鳥多集(すだ)けりと 大夫(ますらを)の 友(いざな)ひて
   鷹はしも あまたあれども 矢形尾の ()大黒(おほくろ)大黒ハ蒼鷹ノ名ナリ
   白塗(しらぬり)の 鈴取り付けて 朝猟に 五百(いほ)つ鳥立て
   夕猟に 千鳥踏み立て 追ふ毎に (ゆる)すことなく
   手放(たばなれ)も (をち)も可易き これをおきて または在り難し
   さ並べる 鷹は無けむと 心には 思ひ誇りて
   笑まひつつ 渡る間に (たぶ)れたる (しこ)つ翁の
   言だにも 我には告げず との曇り 雨の降る日を
   鳥猟(とがり)すと 名のみを()りて 三島野を 背向(そがひ)に見つつ
   二上(ふたがみ)の 山飛び越えて 雲隠り 翔り()にきと
   帰り来て (しはぶ)れ告ぐれ ()くよしの そこに無ければ
   言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ
   思ひ恋ひ 息()きあまり けだしくも 逢ふことありやと
   足引の 彼面此面(をてもこのも)に 鳥網(となみ)張り 守部(もりべ)を据ゑて
   ちはやぶる 神の(やしろ)に 照る鏡 倭文(しづ)に取り添へ
   乞ひ祈みて ()が待つ時に 少女(をとめ)らが (いめ)に告ぐらく
   ()が恋ふる その()つ鷹は 松田江の 浜ゆき暮らし
   つなし捕る 氷見(ひみ)の江過ぎて 多古の島 飛び徘徊(たもとほ)
   葦鴨の 多集(すだ)舊江(ふるえ)に 一昨日(をとつひ)も 昨日もありつ
   近くあらば いま二日だみ 遠くあらば 七日(なぬか)のうちは
   過ぎめやも ()なむ我が背子 ねもころに な恋ひそよとそ (いめ)*に告げつる

4012 矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に猟らぬ日まねく月そ経にける

4013 二上の彼面此面に網さして()が待つ鷹を(いめ)に告げつも

4014 松(がへ)りしひにてあれかもさ山田の(をぢ)がその日に求めあはずけむ

4015 心には(ゆる)ぶことなく須加の山すかなくのみや恋ひわたりなむ

右、射水郡古江の村にて蒼鷹を取獲たり。形容美麗(うるは)しくて、雉を()ること群に秀れたり。時に養吏(たかかひ)山田史君麿、調試節を失ひ、野猟候に乖く。風に搏る翅、高く翔り雲に匿る。腐鼠の餌、呼び留むるに験靡し。是に羅網を張り設けて非常を窺ひ、神祇に奉幣して虞らざるを恃む。(ここ)夢裏(いめ)に娘子有り。喩して曰く、使君(きみ)苦念を作して空に精神を費すこと勿れ。逸放(そら)せる彼の鷹、獲り得むこと未幾(ちかけむ)。須叟ありて覚寤して、懐に悦びて、(かれ)恨みを却す歌をよみ、式て感信を旌す。守大伴宿禰家持。九月二十六日ニ作メリ。


高市連黒人が歌一首 年月審ラカナラズ

4016 婦負(めひ)の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ

右、此の歌を伝へ誦むは三國真人五百國(いほくに)なり。


二十一年(はたとせまりひととせといふとし)春正月(むつき)二十九日(はつかまりここのかのひ)、よめる歌

4017 東風(あゆのかぜ) 越ノ俗語ニ東風ヲアユノカゼト謂ヘリ (いた)く吹くらし奈呉の海人の釣する小舟榜ぎ隠る見ゆ

4018 水門(みなと)風寒く吹くらし奈呉の江に(つま)呼び交し(たづ)(さは)に鳴く

4019 天ざかる夷とも(しる)くここだくも繁き恋かも(なぐ)る日もなく

4020 越の海の信濃 浜ノ名ナリ の浜をゆき暮らし長き春日(はるひ)も忘れて思へや

右の四首(ようた)は、大伴宿禰家持。


礪波郡(となみのこほり)雄神河(をかみのかは)()にてよめる歌一首

4021 雄神川紅にほふ娘子らし葦付 水松ノ類 取ると瀬に立たすらし


婦負郡(めひのこほり)にて鵜坂河(うさかがは)を渡る時よめる歌一首

4022 鵜坂川渡る瀬多みこの()()足掻(あがき)の水に衣濡れにけり


潜鵜(うつかふ)人を見てよめる歌一首

4023 婦負川の早き瀬ごとに篝さし八十伴男(やそとものを)は鵜川立ちけり


新河郡(にひかはのこほり)にて延槻河(はひつきがは)を渡る時よめる歌一首

4024 立山の雪し()らしも延槻の川の渡り瀬(あぶみ)漬かすも


氣多の大神宮(おほかみのみや)赴参(まゐ)るに、海辺を行く時よめる歌一首

4025 志雄路(しをぢ)から(ただ)越え来れば羽咋(はくひ)の海朝凪したり船楫(ふねかじ)もがも


能登郡にて、香島の津より発船(ふなで)して、熊來(くまき)の村を射して徃く時よめる歌二首

4026 鳥総(とぶさ)立て船木(ふなき)伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代(かむ)びそ

4027 香島より熊來をさして榜ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ


鳳至郡(ふふしのこほり)にて饒石川(にぎしかは)を渡る時よめる歌一首

4028 妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに水占(みなうら)はへてな


珠洲郡(すすのこほり)より発船(ふなで)して、太沼郡(おほみのさと)に還る時、長濱の(うら)に泊てて月光(つき)仰見()てよめる歌一首

4029 珠洲の海に朝開きして榜ぎ来れば長濱の浦に月照りにけり

右の件の歌詞(うた)は、春の出挙(すいこ)に依りて諸郡(こほりこほり)巡行(めぐ)る。当時(すなはち)目に()(ごと)によめる。大伴宿禰家持。


鴬の晩哢(おそき)を怨む歌一首

4030 鴬は今は鳴かむと片待てば霞たな引き月は経につつ


造酒(みきたてまつる)歌一首

4031 中臣の太祝詞言(ふとのりとごと)言ひ祓へ(あが)ふ命も誰がために(なれ)

右、大伴宿禰家持がよめる。



         巻第十七 了

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引用文献


○ManyoshuBest100 ○万葉集[YouTube] ○萬葉集朗詠ライブ ○歴史ヒストリア ○万葉歌と明石 、、 ○100分de名著 万葉集 其の1 ○ 其の2 、、 万葉集読み上げ 巻1 ( 1 -27) 万葉集読み上げ 巻1 (28-49) 万葉集読み上げ 巻1 (50-84)


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